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 「お国のために」再び

 時々政府が、日本の学力の平均点が国際的に落ちてきていることを問題にするが、僕に言わせれば大きなお世話だ。国際競争力を向上させるために教育内容を増やし、生徒はもちろん、学校の先生たちも点数を上げるために四苦八苦している。だがこれらの努力は生徒一人一人の幸せとどんな関係があるのだろうか。 平均点とはただのデータであって、その中にはすごくできる子もすごくできない子も含まれている。すごくできない子の中には、貧困が障害になっている子も少なくない。そのへんの手当はできているのか。さらに、教育ということを真剣に考えれば、学力が高ければ良いという問題ではないということは誰にでもわかる。現に学力が高くても、殺人を犯す中学生がいたではないか。平気で弱者をいじめる子どももいるではないか。学力の土台となるもの、そのひとつである公徳心とか人間性を、今の教育はきちんと身につけさせているだろうか。ここで言う教育とは学校教育に限った話ではない。家庭教育についても同じ事だ。僕の経験からすると、家庭にも学校にも、そんな余裕はない。メディアや教育産業が不安を煽るので、生徒や保護者は誰もが塾に通わなければいけないような錯覚に陥っている。ある極端な例では、子どもが帰宅する時刻は午前2時だ。このことに対して学校は何も言えない。営業妨害になる恐れがあるからだ。実際に訴訟問題も起きている。さらに学歴が低いことに対する偏見も根強く残っている。教師や親が子どもの前でうっかり口を滑らせて、学歴が低いとろくな仕事に就けない、などと口走る。ではろくでもない仕事とは?従事者の前で明言できるのだろうか。

  ある時、テレビで「今の若者は鶏肉がどんな鳥の肉か知らない」事を話題にしていた。下の娘(大学生)が       「なんであんな事がわからないんだろう?」         と言うので、僕はこう答えた。              「学校で教わらないからさ。」

 今の子どもたちは学校で授業を受け、部活動の後は塾へ行く。勿論全員ではないが、それが主流になっている。塾は部活動が終わる前に授業が始まる場合があって、当然生徒は部活動を休むか、中途で切り上げて、いそいそとお迎えの車の中へ消えていく。帰宅時刻はかなり遅い。帰宅した時には疲れ果てている。つまり、学力をアップさせるために、1日のほとんどの時間を費やしている。他の活動で知識を広げる余裕など無い。つまり、鶏肉がにわとりの肉であることや、鮭は切り身で泳いでいるわけではないことを教えてもらう機会も無いということだ。こんな常識的なことは、もちろんテストには出ないから、そんなこと誰も気にしていない。文科省、わかっているのかなあ。これが中学生の現状なんだよ。そういった問題に気づきもせず、学力の国際競争力を問題にする。「お国のために」、今度は人間形成に最も大事な時期を捧げろというのだろうか?もう一度言うが、学力という分野における国際的な競争に勝とうが負けようが、騒いでいるのは政府であって、子どもたち一人ひとりの人生にはたいした影響はない。やるべき事はもっと他にある。

 うちの娘たちと僕はとても仲が良い。だから話す機会も一緒に行動する機会も多かった。そんななかで娘たちは色々なことを覚えていった。もちろん鶏肉が何の肉かも知っている。僕は娘たちを塾へは行かせず、勉強も教えなかった。かわりに何のために勉強するのかを考えさせ、勉強の仕方を教えた。良い本を紹介し、素敵な映画を見せたりもした。そのことによって特に人より劣ることもなく、楽しく生活できているようだ。それで良いではないか。