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 スタンド・バイ・ミー

 「スタンド・バイ・ミー」。好きな映画の一つだ。ある作家が自分の少年時代について回想するシーンから始まり、その後、彼が記憶をたどりながら書き綴る少年時代を描いていく。所々に散りばめられたモノローグが、彼にとって、当時の友人たちとの関わりがいかにかけがえのないものであったかを物語る。僕にとっては、高校時代がそうだった。

 昨年だったか、「二人乗り」という記事を書いていた時、当時付き合っていた彼女のこと以外にも多くの記憶がよみがえってきたのだが、そのなかには、一緒に行動していた仲間たちのことも数多く含まれていた。実を言うと、一番最初にUPした「あの時と同じ空」と高校の軽音楽同好会について書いた「オレが作った」は、「二人乗り」とほぼ同じ頃にあったことを書いている。どちらもその頃の仲間たちについてのエピソードだ。

 僕は高校時代、自分が創設した「軽音楽同好会」の運営に明け暮れ、美術部と文芸部にも在籍し、3年生になる頃には、そのほかに居心地の良い「仲間」のグループがあった。「軽音」とこの「仲間」は境界が曖昧で、一緒に行動することもよくあった。「あの時と同じ空」に登場するKは、そんな「仲間」の一人だ。「続 二人乗り」で僕と彼女を「安心して見ていられる」と言ってくれたのも、こうした「仲間」の一人であるSだった。この二人は当時、同じ一人の女子生徒に好意を持っていた。その女子生徒は僕の彼女の友人で、「仲間」の一人でもあったから、その関係は傍目にはなかなかにスリリングではあったが、不思議ともめたことはなかった。僕の彼女は勿論「仲間」の一員で、僕と同様に美術部と文芸部に所属し、「軽音」のメンバーとも仲が良かった。Kは卓球部に所属していたが、なぜか部活動の友人より僕たちといることの方が多かった。僕は美術部の部長と文芸部の副部長を兼任し、最も親しかった「仲間」の一人は生徒会会長をしていた。彼は文芸部の部長でもあり、「軽音」にも所属していた。その「軽音」の初代会長がこの僕である。もう一回言おうか?

 僕と彼女は、いつも二人だけで帰っていたわけではなくて、こうした連中と一緒に帰ることの方が多かった。ことに部活を引退してからは、母校が県下で一、二を争う進学校であったにもかかわらず、僕らだけは「受験勉強って何?」というノリで、時には喫茶店にしけ込み、レコード店や書店で暇を潰し、時には当時よくあった軽食屋で、流行り始めたばかりのピザを夕食代わりに食べて帰ることもあった。僕が見つけた駅までの気持ちの良い裏道を、土曜日の放課後(当時は週6日制で午前中に授業があった)などに皆で長い時間を掛けて歩いたことも何度かある。会えばいつも取り留めのない話で盛り上がり、恋の悩みを打ち明けたり打ち明けられたり・・・。まるで絵に描いたような青春時代だった。

 僕は大学の同窓会には一度も出たことがないが、数年おきに開かれる高校の同窓会にはほぼ毎回出席している。「オレが作った」の後半のエピソードはそんな中で起こったことだ。ある時、その同窓会で久しぶりに会ったSに、「お前が変わってなくて、俺は嬉しいよ」と言われたことがあった。確かに60~70年代のロックを信奉し、反体制のスタンスだった僕が社会に飲み込まれてただの人になっていたら、当時の仲間を失望させたかもしれない。これは驕(おご)りではなくて、実際に周りを見回すと、男どもの多くは規格品のように同じ顔をしていたし、早々と髪の毛を失い、人相が変わってしまった者も一人や二人ではなかったからだ。女性はというと・・・これは言わずにおく方が無難かな・・・?僕は比較的好き勝手に生きてこれた部類だから、自分を見失うこともなく、体型も相変わらず痩せ型だったから、それほど老けては見えなかったのかもしれない。だが、実際にはその場にいた当時の「仲間」たちの誰もが若く見えた気がする。僕らは当時から、人生を楽しむことには積極的だったから。

 現在はコロナウィルスのこともあって、同窓会はしばらく開かれていないが、あの頃の「仲間」たちと個人的に連絡を取ることはしていない。今ではみんな、お互いが知らない人々に囲まれて、あの頃とは別の人生を送っているだろうからだ。だがルーツがあの時期にあるという共通認識からすれば、みんなそこそこ元気にやっているんだろうと思う。ただ残念なことに、今までの同窓会で「二人乗り」の彼女に会えたことは一度もない。

 「スタンド・バイ・ミー」では、最後のモノローグで当時の仲間が今どうしているかが語られ、その中で10年以上会っていなかった親友が、つい最近その正義感のために命を落としたことが伝えられる。その後映画は主人公の作家が執筆を終え、子供たちと出かけるために書斎を出て行くシーンで終わるのだが、その直前、今書いたばかりの最後の一文が映し出される。そこには「その後の人生で、あの12歳の頃のような友人を持つことは二度となかった」と書かれていた。執筆していたパソコンの電源を切り、作家は現実へと戻っていく。人生とはそういうものだ。