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 遠方からのたより

 12月の初め、多分3年ぶりぐらいに、一番仲の良い叔父と叔母から電話があった。それは三日前に出したスケッチ入りの手紙の返信でもあったのだけれど、いつものようにはがきで返信があると思っていたので、ちょっと驚いた。叔父は92歳、叔母は86歳になったそうだ。この二人は僕がブログのために書きためた、230編を超える原稿を全て持っている唯一の人物でもある。いや、実をいうとさすがに文章を読むのが億劫になってきたと言うので、今年の分はまだ送らずにいたのだけれど。

 この二人は県を二つ跨いだその向こう(距離にすると400キロぐらい?)というかなり遠方に住んでいるのだが、服装など大変ハイカラで、僕がちょっと憧れを抱くような個性をもっている。例えば叔父は自分が「楽しそう」と思ったことには何にでも手を出し、しかもそれなりにこなしてしまう器用なところがある。車好きながら、自分のことを「死ぬまで新車に乗れなかった男」と称し、92歳になった今は、自分の足で1日に3時間も歩くそうだ。さらに聞いた話では、若い頃台湾に出向し、出先で会社を一つ潰したにもかかわらず、平気な顔で帰ってきたという。まあ、これがどこまで本当の話かは、本人に聞いたことがないのでよくわからない。何にせよ、伝説は伝説のままにしておくのが一番だ。

 では叔母はどうかというと、ベレー帽なんぞを粋にこなすなど、見ようによっては皇族の端っこあたりに籍を置いていそうなファッションセンスをもち、朝食にアニメ「カリオストロの城」でカリオストロ伯爵が食べていたのと同様に、半熟のゆで卵を卵立てにのせて出したりする。言っとくけど、これって50年近く前の話ですぜ。また、初老と言われる年齢あたりから点字の修行をして、これをモノにした後、長いこと書物を点字に翻訳する活動にいそしんでいたらしい。しかし僕にとってはそんなことより、今までに知った全ての女性のなかで、唯一カタカナで「オホホ」と笑う人物であることの方がよほど価値がある。だって、ホント、いないよ?そんな人。

 今回僕が二人に手紙を書いた理由は、ふと思いついて、二人が住むマンションの周辺をストリートビューで散策し、風景をスケッチしたものを送ろうと考えたからだ。文章を読むのが疲れる、ということだったので、じゃあ今回は原稿じゃなくてスケッチだ!というわけだ。実際、電話で話している間もストリートビューを開いて、「なるほど、ここで日々の買い物をしてるんですね」であるとか、「え、この道が散歩道なの?『通り抜けできません』の立て札があるところですよね?あぜ道じゃないですか」などと、楽しく会話することができた。すごいぞストリートビュー。この使い方、もっと早く気付くべきだった。

 いろいろ書いてきたが、実はこの記事のお題は他にある。それは電話中に叔母が放った一言だった。「私は足がダメだから出かけることもできないの。厭になっちゃうわ」と言った後に、「でも私なんかまだヒヨッコで・・・」と続けたのだ。先ほども書いたように、叔母は御年86歳。それがヒヨッコなんだって。かなわんなあ。それじゃあ僕なんか、卵の中の細胞四つぐらいじゃないか。いや、八つかな?まあ、そんなことはどうでもいいんだけど、それを聞いて僕は、昔TVで見たある老人の言葉を思い出した。その老人は、レポーターの「今、おいくつなんですか?」という問いかけに、「俺?たったの90歳。」と声高に答えたのだった。もう10年近く前のことだが、なぜか今でも忘れられない。老いは仕方のないことだ。だが気持ちは文字通り、持ちようで何とかなる。先達に学ぶことは多いなあ。

 そういえば叔父はこの頃、ごくまれにだが、気弱なことを書いてくるようになった。それがちょっと心配だ、と叔母に伝えると、事もなげに「そう?甘えてるだけなんじゃないかしら」と言い放ち、いつののようにオホホ、と笑った。なんだかとても安心した。うん、やはり叔母の方が一枚上手、という気がするな。