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 アニメとヘミングウェイ

 久しぶりに「バーテンダー」というアニメのディスクを引っ張り出してきて鑑賞した。同名のマンガを2006年にテレビアニメ化したもので、さすがに作画などには時代の古さを見て取れるものの、演出の面においてはかなりこだわりを感じさせるヒューマンドラマだった。当時このアニメを一緒に見てカクテルの美しさに感動した幼い娘たちが、その年のクリスマスにカクテルを作るための道具をサンタさんにお願いしたことは、酒好きの父親にとってこの上ない幸運だった。 

 中でも好きなエピソードが、第5話「バーの忘れ物」。パワハラ上司に地方支局に左遷されようとしている小心者の若い社員に、主人公であるバーテンダー佐々倉がヘミングウェイの小説「老人と海」の話をする。初出が1952年のこの中編は、小舟で一人海に出た老漁師が3日にわたる死闘の末、巨大なカジキを仕留めるも、血の匂いを嗅ぎつけて集まってきたサメに襲われ、奮戦むなしく獲物をほとんど食いちぎられてしまうというストーリー。佐々倉はこの小説の中で老人が呟く有名な「・・・人間は負けるようには作られちゃいない。叩き潰されることはあっても、負けやしないんだ。」という言葉を引用して若い社員を励ます。彼は辞令を受けることを決意し、佐々倉との再会を約束して新しい任地へと旅立っていく。

 ヘミングウェイ(アーネスト・ヘミングウェイ 1899~1961)はやたらと男気のある人物で、1930年代に起こったスペイン内乱では義勇兵としてファシスト政権に立ち向かったこともあるぐらいだ。「老人と海」においてもヘミングウェイは困難な状況に屈せず立ち向かうという人間としての尊厳(そんなものは今や化石でしか見たことがないという気もするが)を深く考察し、描いている。以前僕は、中島みゆきの「ファイト!」という曲について触れた時に、「人は勝つためというより、負けないために戦い続けることがある」と書いたことがあったけれど、まさにそんな感じだ。

 実際、ヘミングウェイにも長いスランプに悩んだ時期があった。その末に書き上げたのが、この「老人と海」だった。彼はこの作品がきっかけで1954年にノーベル文学賞を受賞したが、後の航空機事故に起因する精神的な病のために、1961年、自ら命を絶ったという。彼を知るものにとっては、なんとも残念な終わり方だったと言うほかは無い。

 バーテンダー佐々倉はエピソードの中で、若い社員にフローズン・ダイキリというカクテルを振る舞っている。これはヘミングウェイが好んだカクテルの一つで、糖尿病を患っていた彼はレシピにアレンジを加え、砂糖を抜いてベースのラムを2倍の量にしていた。これはパパ・ダイキリもしくはパパ・ドブレ(パパのダブル)と呼ばれていて、彼が晩年を過ごしたキューバでは今もバーのメニューに載っているそうだ。ちなみに彼は当時、地元住民から親しみを込めてパパ・ヘミングウェイと呼ばれていた。

追記 TVアニメ「バーテンダー」は現在新作を制作中とのこと。2024年春に放送の予定らしい。前作と同じような雰囲気で作ってくれるとありがたいのだが。

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 ヘミングウェイ スタインベック そしてジョーンズ。

 少し前にキンチョーのラジオCMについて書いたが、その後、なんとなく思い出してサントリーの缶コーヒー、BOSSの歴代CMをYoutubeで見た。やっぱり良いなあ、このシリーズは。ただ笑えるだけじゃなくて、そこにはペーソスの要素もある。選曲も素晴らしく、油断していると涙が出てくる。サントリーのセンスはただものじゃない。

 サントリーと言えば、思い出すのが1980年頃のウィスキーのCMだ。特に記憶に残っているのが、ローヤルのヘミングウェイ編とスタインベック編。せっかくなので、ネットサーフィンよろしく続けて検索。久しぶりに聞く小林亜星氏の音楽が絶妙で、またしても涙腺をやられてしまう。たった60秒だよ?なんで?

 ユーザーのコメントを読むと、おそらく僕と同じか、それより上の人たちが、小さい頃に感じた大人になることへの憧れについて書いていた。「いつかウィスキーの似合う大人になろうと思った」だの、「頑張った時期もあったけど、今では無名の焼酎です、反省」なんていう味のあるコメントもある。なかでも印象的なのは、そこかしこに散見する「良い時代だった」というコメントだ。

 このCMのメインとなるキャプションは、「男はグラスの中に自分だけの小説を書く事ができる」というもの。取り上げられている二人の作家が男だから、モノローグは勿論男目線だし、モチーフになっている小説の時代背景だって「そういう」時代だから、CM自体が男臭くなるのは当然だ。でも、現代にこのCMを流したら、「女には書けないというのか!」とか、「男女平等の価値観に基づいていない!」だのという人が、それも一人や二人でなく現れるだろう。やだねえ。細かいことは言いっこ無しだよ。女性向けのお酒のCMは別にあるんだしさ。え?そもそもそれが差別だって?そうなんですか。

 正直言って、僕は男らしさとか女らしさは大切だと思っている。女性には重すぎるであろう荷物を持ってあげたり、仕事でミスって落ち込んでいる男性の肩にそっと手を置いたりすること自体を「やってはいけない」という人はいないだろう。もっともするかしないかは当事者の決めることだけど。

 僕は「上級職は男に任せろ」などと言っているわけでは無い。ただ、生物学的に言っても、文明が発達する以前から男性と女性にはいろいろな「差」があるじゃんか、それを社会通念としての「平等」という概念で語ると思わぬ間違いをしかねないよ、と言っているのだ。その点、「ヘミングウェイ編」はよくできている。足を骨折して動けない初老の男性が、ガーデンチェアでグラスを傾けながらヘミングウェイの作品世界に浸り、いつしか眠りに落ちる。それを見た妻が微笑みながら、ブランケットを持ってきてそっと掛けてやる。この二人の関係はこれでいい。誰かがそれをとやかく言う必要なんて無い。もし奥さんがその関係に不満を感じているのなら、たたき起こして「さっさとうちに入りなさい!」と言えばいい。それだけのことだ。それを他人がいろいろと余計なことを言うもんだから、話が複雑になる。おそらく言わずにいられない連中は「本当にあなたはそれで良いの?」なんて言い出すんだろう。だからいいんだって、任せておけば。自分と同じ価値観を持ってもらおうなんて思わなくていいんだよ。みんなそれなりに考えを持って生きているんだから。

 現代は複雑になりすぎた。あるコメントは、「もうこんなCMは作れないだろう。面倒な時代になったものだ」と書いていた。同感だ。これらのCMは昭和の時代に作られた。以前昭和という時代について書いたが、昭和の美徳の一つとして、「細かいことを気にしないおおらかさ」があると思う。ネットという、個人が簡単に意見を述べることのできる環境も無かった。現代では、言いやすくなった分、軽率な意見や間違った意見も多く世間にさらされるようになり、新たな問題を生み出している。 

 現代にも細かいことを気にしない人はまだまだたくさんいる。気にしないからやたらと発信するようなことはしない。目立たないから少数派のように見えるだけだ。「言ったもん勝ち」と言うが、そんなもん、勝ったと思わせておけばいいだけのことだ。