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 進化のスピード

 少し前の話になるが、SNSニュースを見ていたら興味深い記事があった。内容は「あり得ないようなヒューマンエラー」について。労働安全衛生総合研究所(って何?)の特任研究員である高木元也氏のコメントで、話の発端はバスに置き去りにされて亡くなった園児の一件だった。

 あらためて考えてみると、確かに近年「えっ?なんでそんなことが起こるの?」と思うような事件をよく耳にする。例えばこの9月から10月にかけて、トラックの荷崩れだけでも4件発生している。鉄板、果物、鶏(!?)、石膏ボード。以前はごく希にしか起こらなかったような事件だ。他にも、普通にやるべきことをきちんとやっていれば起こりえないような事件・事故が多くなった。なぜこのような「あり得ない」と思われるようなヒューマンエラーが起こるのか。彼はその原因について分析し、独自の見解を述べていた。

 高木氏は講演活動を行ったり著作を著したりもしているので、知っている人も多いだろう。その彼が言うには、最近あり得ないようなヒューマンエラーが増えているのは当然のことなんだそうだ。要約すると、人間の進化のスピードが文明の発達のスピードに追いついていない、ということらしい。人間の進化の歴史はたったの500万年で、しかもその身体的・感覚的能力は500万年前とさほど変わっていない。それがこの数百年で発達し続ける科学技術に順応することを余儀なくされているわけで、そこに無理があるのだという。そして恒常的に無理を強いられている状況下では当然エラーは増える、という理屈だ。ところで皆さん知ってます?今のサメがどれぐらいサメをやってるか。2億年ですぜ。しかもその間、生態はほとんど変わっていない。つまり、たったの500万年で人間がそう都合良く進化できるわけがないのだ。にもかかわらず外的要因が人間に変化を強要していて、しかもその要因を人間自らが次々と作り出している、そういうことですよね。

 若い頃、愛車の限界を試してみたことがある。その時どれぐらいのスピードを出したかは差しさわりがあるので明記しないが、ある時点で「これ以上のスピードは普通の人間の感覚ではカバーできないな」と感じた。例えば自動車教習所で「スピードが上がると視認できる範囲が狭くなる」という話を聞いたことがあるでしょう。つまり視覚がついて行けなくなるんですよ。それと同じ事が全ての感覚で起こっているような気がした。細胞レベルで軽くパニくっているような感じ。仮にあのスピードで走り続けることを強要されたら、ものすごいストレスだろう。

 車のスピードは自覚しやすい例だが、現代社会には自覚しにくく、それでいて、実は人間の身体的・感覚的能力を超えている状況は山ほどある。例えば、ネット通販などで今日注文したものが翌日に届くのは今では当たり前だが、その裏には夜を徹して輸送等の作業に携わるドライバーやスタッフの尽力がある。彼らは通常睡眠をとっているはずの時間に活動していて、今では誰もそれが異常なこととは思わない。だが本来昼行性である人間にとって、このことがストレスとなるであろうことは想像に難くない。昔よく「夜中に恋文を書くな」なんて言いませんでしたか?これって、明らかに昼間と夜間では感覚に違いが出るってことだ。変に感情的になって、いらぬことまで書いてしまうからヤバイよ、そういうことだよね?手紙ぐらいならまだしも、その状況で高速とかを運転するのって、どうなんだろう。こうした小さな「異常な状況」が積もり積もって過剰な負担となることもあるんじゃなかろうか。

 大量の荷物や郵便物を負担に感じ、故意に投げ出す配達員の話もたまに聞く。そこに到るまでに何が起こっているのか。しかも今では「○○時までにお届け」なんていう縛りもある。配達員の人間性の問題じゃないか、という人もいるだろう。だが本当の問題は、なぜそんなタイプの人間が増えてきたのか、ということであって、これは現代人のほとんどが知らず知らずのうちに「無理が祟る」状況に置かれていることの現れだろう。そう考えれば、確かに「なんで?」と首をかしげたくなるようなヒューマンエラーが増えてもおかしくはない。おかしくはないが、「なるほど」と納得して済むようなことでもない。命に関わる場合はなおさらだ。じゃ、どうする?そこが問題だ。2億年待つか?いやいや、サメは2億年経っても変わらなかった。そもそも人類は2億年もたないような気もするし。ねえ、どうするよ?