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 ハリエット・ショックのデビューアルバム

 ハリエット・ショックとの出会いは1970年代。アメリカの女性シンガーである。今も活動しているようだが、日本ではあまりその名を聞かない。ネットで調べてみたら、何と音楽活動をしながら、何処ぞの大学で作曲や詩(歌詞?)について教えているという。映画音楽にもちょこっと関わったりしているようだ。ジーンズの上下(しかもベルボトム!)を着て歩道に座っていたレコードジャケットの写真からは想像できない話だ。

 この人の日本デビューは多分1970年代の後半(具体的な情報がほとんど無い)で、デビューアルバムは「ハリウッド・タウン」というタイトルだった。当時の僕の小遣いではアルバムを買うのは至難の業だったが、このアルバムは当時の僕の感覚と何か通じるものがあって、絶対欲しいと思っていた。街の大きなレコードショップで見つけたが、持ち合わせがなかったので、とりあえず一番気に入っていた、アルバムタイトルでもある「ハリウッド・タウン」のシングルを購入し、アルバムは次の小遣いまでお預けということに。ところが、このアルバムは日本ではあまり有名にはならなかったらしく、その店にあった1枚がなくなると、2度と入荷することはなかった。しかもハリエット・ショック自体が日本の音楽シーンではウケなかったのか、以後ハリエット・ショックのアルバムを店頭で見たことがない。

 時が流れ、教職に就いていた頃になると、ネットでいろいろな物が購入できるようになった。だがネットでも「ハリウッド・タウン」は見つからなかった。あきらめかけていた頃、僕の勤めていた中学校のAET(アシスタント・イングリッシュ・ティーチャー、外国の方です)にこの話をすると、「カリフォルニアに住んでいる友人に米国アマゾンで探してもらってみようか?」と言ってくれた。僕は英語が少しできるので(といっても映画や音楽についてのボキャブラリしかないのだが)、AETとはいつも仕事以外の話をしていて、仲良くなることが多かったのだ。

 早速連絡を取ってもらったところ、カリフォルニアの中古レコード店に1枚あることがわかった。しかもそのレコードはデッドストックで、まだ一度も針を落としていないとのこと。なんという幸運!だが話はそう簡単ではなかった。その店は海外発送をしていないというのだ。彼はこう提案してくれた。「友人にそのアルバムを買わせて、僕のところへ送ってもらうよ。君は僕を通じて彼に代金を支払えば良い。これでどうだい?」おお、それは願ったり叶ったり。「よろしく頼むよ。ご友人にもよろしく伝えてよね。」しかしここでまた問題が。全ての手はずが整うか整わないうちに「東日本大震災」が発生したのだ。勤めていた中学校は避難所となり、授業のないAETは出勤の義務がなくなった。最後に聴いたレコードに関する情報は「日本への個人の空輸便は大幅に遅れる」というものだった。そして4月。顔を合わせることもないまま、彼は別の学校に配属となった。震災のどさくさで連絡先も聞けず、万事休す。というより、関東東部に位置する僕の住む地域は、実のところ震災の後始末でそれどころじゃなかった。4月に学校が再開して、初めてレコードのことを思い出したぐらいだ。ああ、僕のあのレコードは今頃何処でどうしているのだろう。

 そんなある日、授業を終えて職員室に戻ると、そこに彼がいた。お世話になった学校に挨拶に来たというのである。日本人の奥さんがご一緒だった。彼は満面の笑みを浮かべながら、手持ちのバッグから薄っぺらな段ボールのパッケージを引っ張り出した。「やっと届いたよ。」

 レコードを受け取りながら、僕はどんな顔をしていただろう。奥さんがにこにこしながら言った。「私たちもネットで聞いてみました。とても良いアルバムですね。特に歌詞が素敵でした。」お世辞とは思わなかった。初めて聞いたFM放送の紹介でも、特に歌詞の内容が注目されている、と紹介していたからだ。彼はささやいた。「本当はこれを届けに来たんだ。挨拶はそのついでさ。」嬉しいなあ。「本当にありがとう。これでまた夢が一つ叶ったよ。それで、いくら払えば良い?」そう聞くと、彼はまたにっこりと笑って、「お金はいらないよ。これは僕からのプレゼント。たくさんお世話になったからね。」

 AETは知らない人ばかりの学校に配属され、会話は授業に関することばかりで、心細かったり、孤独だったりするのだそうだ。だから日常的な話のできる相手がいるととても安心するらしい。奥さんも笑顔で頷いている。当時から僕のことは聞いていたようだ。僕はアメリカの(音楽や映画などの)文化について本場の人間と話をするのが楽しかったのだが、その日常的な、自分の好きなカテゴリーについての会話が彼を少なからず支えていたというのである。

 こうして数十年の時を超え、新品のアルバム「ハリウッド・タウン」が僕の手元にある。今やこのアルバムは自分が若かった頃の思い出であるだけでなく、AETの彼との思い出の品ともなったのである。