カテゴリー
未分類

 オードリー

 オードリー・ヘプバーンのドキュメンタリー映画が公開されるんだって。いいね。僕の最も好きな女優。エレガントな役でも、コケティッシュな役でも、何でもござれ。何故なら彼女は例えようもなくチャーミングだから。あー、言ってることがさっぱりわからない。

 面白いエピソードがある。彼女が名エンタティナーであるフレッド・アステアと共演した「パリの恋人(1956)」という映画。その原題は「ファニー・フェイス」、直訳すると「おかしな顔」。本屋の店員だったオードリーがプロのファッションカメラマンに見いだされ、一流のファッションモデルに育っていく話なのだが、カメラマン役のフレッド・アステアが、「面白い顔をしている、これからの時代はこれだ!」と叫ぶ場面があった。これは現実世界でも同じ事で、それまでの女優は絵に描いたような美人が多かったのだが、オードリー・ヘプバーンはコケティッシュかつボーイッシュで、ある意味色気がなく、だからこそいざとなると純粋な美しさを表現できる新しいタイプの女優だった。事実上のデビュー作と言ってもいい「ローマの休日(1953)」から映画の流れが変わったと言っても過言じゃない気がする。何しろ「パリの恋人」に先立つ「麗しのサブリナ(1954)」という映画では、黒のスリムパンツにヒールのないぺったんこのシューズで登場し、足を開いてズカズカ歩いて見せた。こんな女優、それまで誰も見たことがなかった。ちなみにこのスタイルはその後全世界で大流行し、サブリナパンツ・サブリナシューズという言葉まで生まれた。今でも通用している。

 こうして女優として大成功を収めた彼女は後年、ユニセフ親善大使としても精力的に活動した。女優の仕事よりもそちらを優先して、この時期に映画に出演することは希だったという。彼女を突き動かす原動力となったのは、第二次世界大戦中、ナチス占領下のオランダでの経験だった。オランダが解放された時、まだ少女だった彼女は重度の栄養失調に陥っていて、それを救ったのが後のユニセフとなる組織だった。この時彼女は、食事のありがたさや重要性を文字通り痛感したという。

 オードリーがユニセフ親善大使を引き受けたのは1988年。何しろ大女優であるから、画像がたくさん残っているが、難民の子どもたちと接する彼女の笑顔は、銀幕で見せるそれよりも遥かに美しい気がする。人間誰しも歳を経るにつれて肌が衰え、皺が増えていくものだ。オードリーのように表情の豊かな人ならなおさらだ。だけど、そんなことは彼女の魅力を少しも曇らせない。他者を救おうとする精神性と、豊かな表情がそれを補って余りある。 

 これは僕の持論だが、人間というものは、いくら整った顔立ちであっても、表情が豊かでポジティブな心がそこに現れている人の方が数段魅力的に映ると思う。オードリーはその両方を兼ね備えた女優であり、人間だった。晩年のオードリーの笑顔を見て、「いやー、皺がすごくて・・・」なんて言う人はいないだろう。もしいたらこの僕が許さん!・・・とまでは言わないにしても、彼女が好きだったという詩を読ませてあげたい。

優しい言葉を語れば、その唇は魅力的になる。        他人の良いところを見つけようとすれば、愛らしい瞳を持つことができる。                        空腹な人に食べ物を分け与えれば、健全な体型でいられる。

貴方が大人になれば、二本の手がある事に気付くだろう。   1本は自分を支え、1本は誰かを支えるために。

 断っておくけど、これは意訳。これがその詩の全編かどうかもわからない。題名はわかっていて、「時の試練によって磨かれる美」という詩。サミュエル・レヴェンソンというアメリカのユーモリストが書いた。オードリーは死の直前のクリスマスに、この詩を家族の前で朗読したという。

 プライベートでは波瀾万丈と言ってもいい人生だったが、オードリーは晩年、「どう表現すれば良いのでしょう、とにかく私の人生はとても幸せなものでした」という言葉を残している。