ご無沙汰しました。何せ、7月に買い換えたばかりのパソコンの液晶モニターが調子悪くて、修理に出していたものだから(勿論無償でパーツ交換)、間が開いてしまいました。さて、そうこうしているうちに秋も深まり、そろそろおでんの恋しい季節。というわけで・・・
屋台のおでん
屋台のおでん、と言っても、夜に福岡の中州や東京の路上などで見かけるものとはちょっと違う。僕が今から書こうとしているのは、昭和の時代に学校の運動会などに店を出していた、あの懐かしいおでん屋のことだ。
全国的なことだったのかどうかはわからないので一応説明すると、昔僕が住んでいた地域では、学校の運動会にアイスキャンディー(ゴムの袋に入っている)や卵アイス(これもゴムの袋に入っている)のお店と並んで、おでん屋の屋台が店を出すのが普通だった。時代が進むにつれていろいろと差し障りが出てきたのか、今ではすっかり鳴りを潜めてしまったが、当時はこのおでん屋が重宝した。
小学校の運動会といえば、昼食は応援席に陣取った親と一緒に食べるのが常だが、当時はおにぎりやいなり寿司などの主食に簡単なおかず、そして温かいおでんを買い足すという人も多かった。高学年になると、食事が終わった後におやつとして買い食いすることもあって(昼食時はそれが許されていた)、なんともおおらかな時代だった。
今でもよく憶えているのだが、具材はすべて串に刺されていて、注文したものを経木でできた舟形の皿に盛って渡してくれた。一般的な具材は10円、高いものでも20~30円ほどだったと思う。定番の練り物よりも高級な「玉子」と「肉」があって、練り物の2~3倍の値段だった。「肉」というのは、実は鳥の皮で、ある意味肉ではないのだけれど、いつまでも口の中に残るので変に得した気分になったものだ。
これらの店は昨今東京の路上などで見られる屋台とは別物で、おそらく「テキ屋」と言われる部類の店だったのだろう。休みの日に近くの公園に行くと、同じ業者かどうかはわからないが、似たような内容で商売をしているおでん屋の屋台をよく見かけた。当時の子供にとっては、駄菓子と並んで格好のおやつだった。
今ではこうした屋台は祭りの縁日などでしかお目にかかれなくなった。しかも「おでん屋」を目にすることはほとんどない。家であの味を再現しようとしたこともあるが、市販の出しではどうも違う気がしてならない。おそらく思い出の中の味とは、いろいろな要素が絡み合った特別なものなのだろう。
付記 おでんと言えばもう一つ思い出すのが、漫画「おそ松くん」に登場するキャラクター、チビ太がいつも持っていたおでん。三つの具が1本の串に刺さったもので、原作者である赤塚不二夫氏の少年時代(昭和20年代?)に屋台で1本5円で売られていたものがモデルだそうだ。ちなみに具は上からこんにゃく、がんもどき、ナルト(諸説あり)。場面によっては他の組み合わせも見られる。味付けは関西風という設定だ。今では「マンガ肉」と同様に、「チビ太のおでん」を提供する店もあるそうだが、当時の僕はついぞお目にかかったことがなかったなあ。