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 好きなジャンル 

 よく聞かれる質問に、「音楽で好きなジャンルは?」というのがある。答えるのがとても難しい。というのも、そもそも好きなジャンルなんてないからだ。僕は音楽を「曲」で選ぶことが多い。例えば、映画音楽で好きな曲とか、ジャズで好きな曲とか、クラシックで好きな曲とかはある。だが、「ジャズ一辺倒です」とか、「クラシック以外は音楽じゃないと思う」なんてことは口が裂けても言わない。このへんは、以前知り合い(年上)に散々厭な思いをさせられたこともあって徹底している。昔、僕がビル・エヴァンス(僕の好きなジャズピアニスト)について話していた時に、「あんなの入門編だよ。本当のジャズはもっと奥深いもんだ」と言われたり、バンド活動をしていて「ロックをやるんならブルースから勉強しないと本物になれない。まずブルースを聴け」と言われたり。おまけに散々蘊蓄(うんちく)を語られて閉口した。確かにそれはそうなのかも知れないが、良いじゃんか、気に入って聞いているんだから。そもそも世代が違うんだから、古い考えを押しつけないでほしい。まるで頑固オヤジとケンカしているようなものだ。音楽なんだから、その時代の解釈があって当然だ。そうでなければ、パンクロックやプログレッシブロックなんて生まれてくるわけがないのだ。それに、ジャンルやルーツにこだわることで、それにそぐわない音楽の良さを認めようとしない態度も納得できない。

 僕はバンドでハードロックを演奏し、カラオケでJポップを歌い、家で飲みながらジャズを聴く。時にはポールモーリアに代表されるようなイージーリスニングや、アメリカン・オールディーズも聴く。さらに太田裕美や吉田拓郎、オフコース。好きなジャンルなんて決められるわけがない。アーティストにしても、例えばマービン・ゲイの「ホワッツ・ゴーイン・オン」は大好きな曲だが、彼の他の曲についてはそれほどでもない。むしろテンプテーションズやスタイリスティックスのほうが好き、といった具合だ。もちろん、「この人の作る(歌う)歌には好きな曲が多い」という理由で、好きなアーティストというのはいる。以前言及したハリエット・ショックだとか、アート・ガーファンクル、国内だと吉田拓郎やオフコースなどがこれに当たる。 

 だいたい音楽というものは一種の嗜好品であって、かつ自分の人生のそれぞれの時代とシンクロしたりしているので、センチメンタルな話題として言及することの方が多く、少なくとも僕の中では、「音楽性を追求する」ような対象にはならない。せいぜい「ベートーベンの『田園』は、カールベームが指揮を振ったやつがいい」といったレベルだ。理由?だってカラヤンとか速いんだもん。

 あまり聞かないジャンルというのはある。演歌。でも、北酒場とか好きだなあ。襟裳岬もいい。もっとも、あれは吉田拓郎の曲だよね?自分でも歌ってるし。 

 そんなわけで、知らない人がうちのCDラックを見たらびっくりするだろうなあ。何せ「賛美歌集」から「世界の国家」さらには「おかあさんといっしょ ベストソング集」まで揃っている。ちなみに「おかあさんといっしょ」で歌われた歌の中には、大人が聞いても感動する良い歌が結構あるんですよ。「みんなの歌」に至っては何をか言わんや、という感じ。以前、何かのTV番組で、広瀬すずが「一人カラオケで中高生の頃の合唱曲を歌いまくるのが好き」と言っていたが、これもすごくわかる気がする。

 いまだに「好きなジャンルは?」と問われることは多い。以前はきちんと説明していたが、最近は面倒になってきて、ただ単に「ない。好きな曲がいっぱいあるだけ」と答えることにしている。

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 ワクチン接種!

 先日コロナウイルスワクチンの1回目を接種してきた。通常からすると1ヶ月以上の遅れだ。なぜそんなことになったかというと、僕がファイザー社製のワクチンを嫌ったことがその主な理由だ。

 そもそも僕はワクチン接種反対論者ではないが、ワクチン接種後によくわからない理由によって500人以上の死者・急死者が出ているという事実は、そう簡単に目をつぶれるものではない。しかもコロナワクチンの接種と死亡例の因果関係は不明。かといって、新型コロナも怖いッちゃ怖い。そこで折衷案として、ファイザー社製よりは死亡者の報告が遥かに少ないモデルナ社製のワクチンを使用している接種会場を選んだ。ところがモデルナ社製のワクチンはご存じのように8月から供給が滞り、接種の予約開始が遅れた、というわけだ。

 ニュース等でも「因果関係は不明」という表現が何度も使われ、もう半年以上になる。そう。いまだに「因果関係は不明」。これはいささか無責任ではあるまいか。「打て打て、世のために打て。死ぬかもしれないけど確率は低いから。因果関係?それはまだよくわからないんだけどね」つまりそういうことでしょう?これじゃ亡くなった人やその家族はたまんないよね。この500超という数字は、当事者にとってはただの数字じゃないわけだから。

 国や自治体はワクチン接種を積極的に薦めているけど、「たまに死ぬ人がいます」とは絶対に言わない。しかも因果関係が明らかになっていないということは、逆に言えば「ワクチンが死因とは言えない」という逃げを打てるわけだ。このへんが何とも納得がいかない。因果関係をさっさと解明してくれれば、僕のような、あるいは僕より神経質な人でも安心してワクチン接種を考えることができるんだけどなあ。

 ところで、1回目の接種を終えて気付いたことがある。副反応の一つとされる「接種部位の痛み」というやつなのだが、これって妙に懐かしい感覚だ。僕ぐらいの年齢の人だと、子ども時代に風邪をひいたりすると、病院で必ず注射をされたものだ。この注射はワクチン接種と同様に筋肉注射で、打った後もしばらくは痛みが残った。あれに似ているのだ。今では風邪などで筋肉注射をされることは少なく、その代わりに内服薬が山のように処方される。インフルエンザのワクチンなどをよく打っている人をのぞけば、筋肉注射の痛みを経験したことのある人はほとんどいない。だから今回はコロナワクチン接種の副反応の一つとされているのだろう。僕からすれば「なーんだ、これか」という感じ。そういえば、20年以上前にお世話になっていたK医院、ここの大(おお)先生は初老の医師で、僕が風邪をひいたりしてK医院を訪れると必ず尻に筋肉注射をされた。そんなの古い映画でしか見たことがなかったので、初めての時はびっくりした。だってこれ、平成の話ですぜ。1~2日、堅い椅子に座れなかったのを思い出す。大先生、元気かな。今ではかなり高齢のはずだけど。白髪にもみあげの、レックス・ハリソン※みたいなダンディーな人だったっけ。閑話休題。 

 幸いにも1回目接種の副反応は接種部位の痛みだけで済みそうだ。それにしてもコロナワクチンの接種で長いこと忘れていた昔の記憶がよみがえるなんて、思いもしなかった。   ・・・待てよ。これって、一種の副反応か?

※レックス・ハリソン(1908~1990) イギリスの俳優。ミュージカル「マイ・フェア・レディ」のヒギンズ教授、と言ったら、わかる人はわかる?

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 秋の食卓

 なんだかんだ言っているうちに、もう9月も半ばを過ぎた。今年の中秋の名月は見事だったなあ。庭に勝手に生えたススキに、今年は今見頃の萩と、近所の藪で見つけたカラスウリを添えて飾った。何を隠そう、僕は生け花の師範免許を持っている。今も時々TVで見かける金髪の生け花作家、假屋崎氏とは若い頃一緒に学んだ間柄だったりする。今は昔。

 この時期になると何となく和食が食べたくなる。五目混ぜご飯とか、桜でんぶの入った太巻きとか、いなり寿司だとかが特に恋しくなる。もしかすると小さい頃の運動会の、お弁当メニューの影響かも。その他にものっぺい汁とか里芋の煮っ転がしとか。これらはおそらく僕の生育歴によるもので、誰もがそうとは限らないだろうけど。

 うちには「聞き書き ふるさとの家庭料理(全20巻 農文協)」なる全集があって、今は卓上に「13巻 秋のおかず」が出してある。これは単なるレシピ本ではなく、土地土地の古老などから聞いた料理のいわれや作り方を、写真入りで紹介している。だから材料は書いてあってもその分量などは書いてなくて、どちらかというと文化的な内容の全集だ。近所の書店でこれを注文した時、店長に「あの・・・図書館の方ですか?」と聞かれたのを思い出す。そりゃあね、個人でこれを注文するような物好きはそうそういないだろうからね。

 以前に紹介した「一度は使ってみたい 季節の言葉」と同様、時々引っ張り出しては眺めている。季節のおかずの他にも、「餅 雑煮」「寿司 なれ寿司」「日本の正月料理」等、テーマ別に料理を紹介している巻もあって、なかなか面白い。

 実際に料理を作ろうとするならば、うちで最も心強い味方は、学研の「食材クッキング辞典」であろうか。この本は大判で、食材ごとにその料理法を数多く紹介している。ある時この本のレシピできんぴらゴボウ(ただし竹輪の代わりに鶏肉を使用)を作ったら、亡き母の味とほぼ同じものができた。それ以来この本に頼ることが多くなった。特にブリの照り焼きのたれや、煮魚の煮汁の味は、僕の人生経験と照らし合わせて何の違和感もなかった。この味のマッチングは本当に奇跡的。長いこと人間やってると、そんなこともあるんだねえ。 

 さて、今夜は五目混ぜご飯を作るとしよう。近々予定しているのは例の鶏肉入りきんぴらゴボウ。里芋の良いのが出回ったら、のっぺい汁(これまた鶏肉入り)にひもかわ(群馬県あたりのうどんの一種)を入れて食べよう。クリご飯も良いな。夏の終わりは寂しいものだが、それもつかの間、今は実りの秋の楽しさでいっぱいだ。

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 話題が無いわけじゃなくて・・・

 この夏はブログの更新という意味ではあまり筆が進まなかった。

 このブログは少し浮き世離れしたイメージを目指しているところがあるのだが、この夏は腹の立つ政策や理解しがたい事件が多く、それについて書くと内容がすさんでくるだけでなく、一気に現実的になってしまうわけで、それは僕の意図に反する。しかし、そう言いながら覚え書きはそれなりにため込んでいる。そういった文章は書いていてさほど面白いわけでもなく、後で読み返すと何となく不愉快だ。言ってしまえばその時々の個人的な感情の記述といった体(てい)のものだ。そんな文章誰も読みたくないだろうから、あえてUPせずにいるというのが本当のところだ。だから今回は久しぶりに、この夏覚えた遊びについて書く。その遊びというのは、蝉の抜け殻集め。

 事の始まりは、ある夜、下の娘がリビングから見えるところで羽化しようとしている蝉を見つけたことだった。翌朝確認すると、この蝉(アブラゼミだった)はまだ飛び立ってはいなかったが、立派な成虫になっていた。事のついでに庭の中を探してみると、あちこちに蝉の抜け殻がぶら下がっていて、集めてみたら7~8個はあったかな?何となく、うちの庭からどれだけの蝉が羽化するのか知りたくなった。そこで朝起きるとすぐ庭を一回りし、抜け殻を探すことが習慣に。見たこともない小ぶりの抜け殻があったりしてなかなか面白い。今までにも蝉の抜け殻は幾度となく目にしてきたが、大人の目でこんなに真剣に探すのは初めてだった。結果、うちの庭には少なくとも5種類の蝉が生息していることがわかった。ネットで調べてみたところ、アブラゼミ、ミンミンゼミ、ニイニイゼミ、ヒグラシ(多分)、そして1匹だけクマゼミとおぼしき抜け殻が。さらに、ちゃんと成虫になれない蝉がいることも実感としてわかった。羽根の奇形が2匹、殻から抜け出せなかったものが2匹。自然って、きびしいなあ。

 抜け殻が110個を越えたところでパンツァーカイル(WW2時のドイツ機甲師団の陣形)を編成し、写真を撮って他県在住の長女(蝉が大嫌い)に送ってやった。頭を抱えた女の子のスタンプを貼り付けた返事がラインで返ってきた。このコロナ禍の中、元気そうで何よりだ。

 今では抜け殻の総数は146個。最大で1日17個の記録がある。我が家は地方都市の外れに位置し、農地転用で安く手に入れた敷地はそれなりに広い。そこに雑木を植え、庭はちょっとした雑木林のようになっている。だから虫や野鳥がたくさんやってくる(ノラ猫や、時には狸も)。あちこちの藪の中にはいまだ発見されていない抜け殻がまだまだあるに違いない。それにしても140個超とは。

 さすがにお盆過ぎにはピークを過ぎ、1日2~3個に。それに反比例して蝉の亡骸が目立つようになってきた。そういえばここ数日、トンボもよく見かける。明け方聞こえてくる虫の声はヒグラシからコオロギに変わった。庭で見つかる抜け殻の数の推移、これも季節感というやつだろうか。かなりマニアックだけど。

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 アメリカ従軍カメラマンの良心

 「トランクの中の日本」という写真集をご存じだろうか。もし知らないなら、是非とも一度、現物を手に取ってみてほしい。

 僕がこの初めてこの写真集を知ったのは、発売当時の、雑誌か何かに掲載された広告だったと思う。紹介されていた1枚の写真に強烈なインパクトを受けた。それは国民服を着た少年が、眠っているように見える赤ん坊を負ぶいヒモで背負ったまま「きをつけ」の姿勢をとっている写真だった。写真集が発表された後も、単独であちこちに掲載されたから、見たことがある人も多いだろう。撮影者はジョー・オダネルという若者。終戦直後に占領軍の一員として長崎県佐世保に上陸。軍のカメラマンとして戦後の日本を撮影するのが彼の任務だった。ご存じのように、長崎は原爆で壊滅的な被害を受けた直後だったので、その周辺はかなりの惨状だったという。

 彼の仕事には厳しい禁止条項があって、後々米軍が非難されるきっかけとなるような、あるいは原爆投下という蛮行の証拠となるような写真を撮ってはいけないことになっていた。しかし、彼は撮影中に様々な人たち(日本人)と出会い、次第にその意識が変化していく。彼は仕事の枠を越えて、「人間として、ここで何が起こったのかを記録するべきだ」と考えるようになり、独断で写真を撮り続けた。帰国時には厳しい検閲があったので、問題となりそうなフィルムは未使用と偽って持ち出したそうだ。このようにして撮影されたうちの1枚が、あの少年の写真だった。あの写真は、後に「焼き場に立つ少年」と呼ばれるようになり、2017年にはローマ法王とのエピソードもあって、近年あらためて注目されるようになった。

 この写真集が最初に発表されたのは1995年。なぜこれほど出版が遅れたのか、それには深いわけがある。撮影してはいけないものも写っているから、見つかれば写真がネガもろとも没収されてしまう恐れがあった。それは絶対に避けたい。そこで彼は、帰国してしばらくはネガもプリントも、トランクに入れて隠していたのである。そうして発表できる時期を思惑するうちに、長い年月が過ぎてしまったとのことだ。このことが、「トランクの中の日本」というタイトルの由来にもなった。実際にアメリカで写真展を行った際には、高い評価を受けた一方で「自国の恥部を暴くようなマネをした」という理由で彼を非国民呼ばわりする人たちも少なからずいたそうだ。だが、ジョー・オダネルの「全ての人々に見てほしい、あの時、何が起こっていたのか知ってほしい」という態度は揺るがなかった。

 ジョー・オダネルはすでにこの世を去ったが、その数年前に幾度目かの来日をしている。その様子を追ったTV番組があって、その中で彼は思い出の地を訪れ、あの時出会った人々との再会を果たした。しかし、一番会いたかったあの少年に再会することはとうとうできなかった。あの時、あの少年は、亡くなった幼い弟の亡骸を背負い、臨時に設営された焼き場(といっても野火)で火葬の順番を待っていたのだ。下唇を噛みしめ、「きをつけ」の姿勢で微動だにしなかったそうだ。ジョー・オダネルは「声をかけてやりたかったが、そうすることで我慢している涙が堰を切ってあふれ出しかねず、それは彼の尊厳を台無しにしてしまう気がして、一言も声をかけられなかった」というような内容のことを書き残している。

 他にも原爆の熱線に背中を焼かれた傷病者や、きちんとした服装をした老紳士(英語が堪能で、「写真でこの惨状を世界に訴えてほしい」と語ったそうだ)との出会いについて、写真に手記を添えて掲載しているので、その時の彼の感情の揺らぎが手に取るようにわかる。読んでいて涙がにじんでくる。そこには歴史の中で、けっして風化させてはいけない記録が詰まっている。

 世界で唯一核兵器が使用され、多くの犠牲者を出した日本。しかし、政府はいまだに「核兵器禁止条約」を批准していない。ジョー・オダネルは2007年8月9日、85歳でこの世を去った。それは奇しくも、長崎の「原爆投下の日」であった。

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 つぶやき

 「つぶやく」とは「小さな声で独り言を言う」という意味だそうだ。独り言は通常、聞き手がいないことを前提として発せられる。その内容は限りなく自由だ。何しろ聞き手が存在しないのだから、批判されることはないし、誰かを傷つける心配もない。上司の悪口でも、好きな人への思いの丈でも、何の根拠もない感情論でも、何でも言いたい放題。だからドラマやアニメでは、他人に聞かれては困る独り言を、誰かに聞かれて慌てたりするシーンがよくある。だが今ではその独り言が、つぶやくかわりにネットに書き込まれ、状況によっては第三者でも閲覧できる。匿名であれば気にもならないだろうが、注意しなければいとも簡単に自分が恥をかいたり、他人を傷つけたりしてしまう。さらに問題なのは、内容が文章として残ることだ。

 一時の感情から発せられるつぶやきは、時間の経過とともに忘れられていくことが多い。他人と会話していても「そんなこと言ったっけ?」とか、「あの時は腹が立っていたからそう言ったかもしれないけど・・・」なんて言葉をよく耳にする。だが、すでに本人が忘れてしまっている感情であっても、文字によって記録され、その文章が残っていれば、読む側には現在進行形で伝わることになる。そしてこの時間のギャップは大きな誤解を生む。さらに文章がコピーされたりしていれば、本人が削除しても別の場所で存在し続ける。こうなると、例えそれが一時の感情から出た刹那的なコメントであっても、読む側からはその人の恒久的な意見や主張としてとらえられてしまう。

 僕はこのブログを書くにあたり、原稿を用意している。UPするまでに何度も推敲するので、なかにはタイミングを逸してUPできないものもある。それらの文章はそれなりに主張を含んでいるから、そこには文責というものが発生する。だからSNSやツイッターのような書きっぱなしのメディアは恐ろしくて使えない。逆に言えば、考えを文字で表現する以上、たとえSNSやツイッターのような短い文章でも、書いた側には責任が発生するということだ。考えを言葉で発するのと、文章にして提示するのとでは大きな違いがあると認識するべきだろう。特に多くの人が閲覧可能であり、しかもその管理が第三者にゆだねられているネット環境においては、軽々しく書き込みをするべきではない。メール、ラインやツイッター等に代表される文字によるコミュニケーションは、言語による会話とはそもそも性格が違うと考えた方が良い。

 ネット上ではツイートすることを「つぶやく」と言う。ツイートとは本来、小鳥のさえずりのことを言うらしい。この「さえずり」が、ある大国の国民を分断したことは記憶に新しい。そしてそれは今も続いている。やはり独り言は、誰もいないところでボソッとつぶやくに限る。

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 何としても食う

 土用干しというのか、先日、つけ込んでいた梅を干した。今年も良い感じに梅干しができそうだ。

 ここ数年、毎年のように自家製梅干しを作っているのだが、そこそこ面倒だし、それなりに時間もかかる。その手順も、どうしたらこんな発想が生まれてくるんだと思うようなことの連続だ。そんな作業にいそしんでいると、必ず思い出すことがある。それは「日本人って、何としてでも食うよな」ということ。

 皆さん、ヒジキの煮付けは好きですか?あの海藻は出荷前の下処理がとても大変。そのままだと、アクが強くて食べられたもんじゃないんだそうだ。昔ながらの方法だと、まず収穫したヒジキを鉄鍋で3~4時間炊く。しっかり噴きこぼし、それを一昼夜放置して蒸らす。よく水洗いして、網の上で1~2日天日干しし、波板の上に移して仕上げ干しをこれまた天日で半日。こうしないと食えないものを、こうまでして食おうとする情熱って、いったい何なんだ?しかも途中で諦めなかったところが凄い。

 茨城県北部名産の凍(し)みこんにゃくは製造にほぼ1ヶ月かかる。そもそも、アクが強くて食べられないこんにゃく芋からこんにゃくそのものを作るのも、「マジか」レベルでとても面倒。しかし、そのままでも食えるこんにゃくをなんで凍らせたかねえ。多分誰かが冬に出しっ放しにしちゃったんだろうな。そんでもって、食べてみたら美味しかった、と。始まりはそんなことだったんだろうと思う。それを「あーしたら」「いやこーしたらもっと・・・」なんていろいろやってみるうちに、今の製法ができあがったのだろう。しかも厳寒の季節に20日間、野外に放置して、水をかけては凍らせ、天日で解凍してはまた凍らせ、これって、今で言うフリーズ・ドライじゃないか?誰が思いついたか知らないが、その発想が凄い。

 極めつけはフグの卵巣。ご存じのように、フグはその内臓に致死性の毒をもっている。テトロドトキシンといって、ハイチでは例のゾンビを作るときに、このテトロドトキシンを・・・フグの話でしたっけね。

 フグを料理する料理人は特別な免許を取らなければならないが、それでも毎年中毒者が10人以上、死者も数年に1人の割合で出ている。縄文時代の住居跡から、家族とみられる遺体(もちろん白骨化)とともにフグの骨が発掘されたことは、その筋では有名なお話。ところで、特にフグの卵巣にはテトロドトキシンが多く含まれているのだが、その猛毒の卵巣を何とかして食おうとしたやつがいる。

 「フグの卵巣のぬか漬け」、これは石川県の名物で、まずフグの卵巣を1年以上、30パーセントほどの塩漬けにする。その後ぬかに漬けてさらに1年あまり。要するに最低でも2年、長いと3年近くかかるわけだ。そこまでして食うかねえ。肝心のお味のほうは良い意味でかなりの珍味とか。これを製造するのにも免許が必要で、製品は石川県の予防医学協会の検査を経て出荷されるそうだ。だが、解毒のメカニズムはいまだによくわかっていないという。

 ヒジキもこんにゃく芋もフグの卵巣も、アクが強すぎたり毒があったりで、本来であれば食べられない素材だった。それを知恵と勇気(特にフグは)で、何とか食べられるように加工したわけだ。だがこうした食品は、食うものがなかったから何でも食べるしかなかった、というだけの理由では絶対生まれてこないと思う。さても、日本の食文化の、何と奥の深いことよ。

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 夏と言えば怪談(その3)

 教師時代の修学旅行などにまつわる怪異譚を思い出したので紹介する。

一人多い

 ある修学旅行で、1日目、京都に向かう新幹線の中で発熱した女子生徒がいた。彼女は養護教諭とともに宿に直行、その足で病院に連れて行った。夜になって一行が宿に入ったところで合流。夕食を済ませ、熱も下がったので、グループとともに客室で就寝させた。

 翌朝、その生徒がぼくのところに来て言うことには、1日目のほとんどを宿で休んでいたために、寝付けなくて夜中に何度も目が覚めたそうだ。ふと気付いて、寝ているグループのメンバーを数えてみると8人いた。だが、彼女のグループは7人だ。もう1度数えてみたが、やっぱり8人。その生徒は部屋の入り口に一番近いところに寝ていて、室内は窓から入る街灯の光で照らされ、寝ている友人たちはシルエットになってよく見えたそうだ。怖いので入り口に向き直り、いつの間にか眠ってしまった。夜が明けてもう一度数えたときには、7人に戻っていたとのこと。

赤い橋

 3年生が修学旅行から帰ってきた。違う学年の担当だったぼくに、ある女子生徒が話してくれた土産話。

 2日目の班別タクシー行動で、あるグループがよせば良いのに、タクシーの運転手に心霊スポットに連れて行ってほしい、と頼んだらしい。運転手もその気になって、その筋では有名なトンネルに連れて行ってくれたそうだ。トンネルの手前には赤い橋があって、自殺の名所になっている、といえばわかる人にはわかる場所だ。メンバーがタクシーを降りてその橋を渡り始めると、1人が立ち止まって泣きだした。どうしたの?と聞いても、泣きじゃくるだけで何も言わない。そのうちその場にしゃがみ込んで放心状態に。これはまずいと、みんなでその生徒を抱え、タクシーまで戻った。赤い橋から離れてすぐ、その生徒は落ち着いたという。本人曰く、なぜ泣いたのか自分でもわからないそうだ。タクシーの運転手も凄く心配していたとのこと。そりゃそうだろうなあ。

裸足の脚

 「うちの家族はみんな霊感が強いんです」という男子生徒。修学旅行で宿泊するホテルに着くなり、茶化し半分に、「このホテル、どんな感じだ?」と聞いたら「結構ヤバイっすよ」という。

 翌朝、朝食の時に「昨日は何かあったか?」とたずねると、手招きでぼくを朝食会場の外へ連れ出し、「○○(男子生徒と同室の生徒)には言わないでください」と前置きして、「夜の11時頃、厭な感じで目が覚めたと思ったら、窓側から脚が歩いてきたんですよ。膝から下だけで、多分女。裸足でした。」「なんだって。窓から入ってきたのか?」「いや、窓の下の壁から湧いて出た感じッすね。それで、となりに寝ていた○○のベッドのそばまで行って消えました。残り2日間、やつが気にすると困るから、内緒って事でお願いします。」「お、おう、わかった。もし○○に何か変わったことがあったらすぐに言えよ。」「了解です。」幸い、その後は何も起こらなかった。

盛り塩

 ちょっと毛色をかえて宿泊スキー研修でのお話。2日目のスキー研修で、立て続けにケガ人が3人出た。そのうち2人は大事をとって救急車を要請。1日のうちに救急車を2度も呼ぶなんて初めてのことだった。幸い大事には至らなかったが、宿に戻ってびっくり。ケガをした3人は全員同じ部屋だったのだ。さあ大変。同室の生徒たちが「この部屋何かあるのかも!」とパニックに。仕方が無いので、宿の厨房にお願いしてそれなりの量の塩をもらい、ホテルの担当者にも断った上で部屋にまいた。残った塩は入り口と窓の両側に盛り塩に。気休めだが、とりあえず生徒たちは落ち着いた。翌日は何事もなく、無事研修を終えることができた。

おまけ コックリさんの呪い

 これはだいぶ前のこと。ある日の放課後、柔道部の部長が先生(僕のこと)に相談がある、と職員室にやってきた。柔道マンガに出てきそうな見てくれの大男だ。「なんだ?話してみ?」「ここじゃちょっと・・・。部室に来てほしいんですけど。」「なんだ、穏やかじゃねえな。」歩きながら彼が言うには、部室でコックリさんをやっていたら、どういう加減か最後に「全員呪う」と出てしまった。どうして良いかわからなくて、そのままにして相談に来た。そういうことらしい。まったく、お前らjkか?

 部室に着くとすぐ、僕はコックリさんの盤面(紙)を掴んで破り捨てて見せた。すると1人がそれを見てパニックに。「あっ!ダメだよ先生、コックリさんまだ帰ってないのに!先生も呪われるよ!」こりゃ重症だ。「そんな心配はない。嘘だと思うんならもう1度やって見ろ。オレが呪われたか聞いてみろ。」まさかホントにやるとは思わなかった。そして出た答えは、「先生は呪わない」。それを見た部員一同、「先生、すげー!チョー強ええ!」違う、そうじゃない。やれやれ、僕の株が上がっただけかい。

 結局彼等はその日の深夜に、どこで手に入れたのか、赤い鼻緒の下駄を近所の川に流しに行った(呪いを解く方法のひとつらしい)とのこと。後日よく言い諭して、2度とコックリさんはやらないと約束させた。

 どれも実際に聞いたり体験したりした話。考察は貴方にお任せします。

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 アルファベットの学習か(今日はもう書いちゃうぞ!)

 今回のオリンピックは凄いねえ。まずS氏のシンボルマーク盗作疑惑(採用は撤回)から始まって、組織委員会トップのM氏が女性蔑視問題で辞任。続いて開閉会式の演出統括、S’氏が女性侮蔑問題で辞任。同じく開閉会式の音楽担当者、O氏が過去の障害者等へのいじめ・虐待問題で辞任。さらに関連行事に参加予定の絵本作家、N氏が出演を謎の辞退。とどめは開会式前日の演出担当トップ、K氏の解任。こちらはお笑い芸人時代にナチのホロコースト(ユダヤ人虐殺)をお笑いのネタにしたことがあったからで、波紋は世界中に広がった。よくもまあ、これだけポンコツを集めたもんだと驚嘆してしまう。

 過去に馬鹿をやったことは僕も、おそらく貴方もあるだろう。僕はただの小市民だから、今更誰も問題にはしないだろうけど、それなりの地位や役職にある人物だと、話はそう簡単にはいかない。まさに「ノブレス・オブリージュ(位高ければ徳高きを要す)」。だとすると、任命する側にもそれ相当の責任が生じるだろう。もちろん本人たちも、特にO氏などは「ぼくはこういう過去があるのでふさわしくありません」という対応もできたはずなんだけど、そんな過去のことは忘れてしまっていたのかも知れない。あるいは軽く考えていたのか。それはそれで問題だけど。

 自分の置かれた立場で言っていいことと悪いことの区別がつかない、こういうのを認識不足というのだろう、多分。だが例えばK氏の場合、確かに言動には問題があったかもしれないが、本人が人種差別主義者というわけではなく、過去のことでもあり、誤解を恐れずに言うなら、もとは一般人の「失言」というレベルのものだろう。問題を大きくしているのは、もしかすると告発する側の人間かも知れない。さらにこういう「ふさわしくないかもしれない」人たちを話題性や忖度でそういった地位に就けてしまう、これもまた認識不足。問題だと思う。おまけに一度外されたM氏なんて、今になって組織委員会の名誉職に就けようなんて話もあって、各方面から総スカンを食らった。まったく想像力に欠けるというか、こんなのが今の日本なのだろうか。そう思うとがっかりだが、一番がっかりしているのは多分あのSさんだろう。嫌いなタイプではあるが、同情を禁じ得ない。さらに気になったのが、あるアスリートのコメント。「相手の心を折りにいくつもりで」ってなに?細かいことかも知れないけど、これはスポーツマンのコメントじゃないと思うんだけど。さらにネットでは結果を出せなかった選手に対する中傷が後を絶たないとか。みんなして、そんなに他人の心を折りたいのか?まさかこの雰囲気、最近のジャパニーズ・スタンダードじゃあるまいな。もしそうだとしたら、今後がとっても心配。

 IOCのB氏の言動も大分話題になったが、ごく最近では№2のC氏が開会式の欠席を表明していた2032年(だったかな)の開催地である、クイーンズランドのトップ(女性)に「東京大会の開会式に行け」と圧力をかけたとかで、IOC自体の問題も浮き彫りに。いったい何様なんだ。さらにK氏のホロコースト問題を米ユダヤ系団体に言いつけたのは日本の防衛副大臣、N’氏。もー、訳わからん。「副大臣」が政府を飛び越え、国際的な舞台でスタンドプレーって、いったい何なんだ。ついでに言うなら、開会式も「世界のワンマンショー」みたいでひどい出来。ビートTが怒るのも無理ないよ。だって彼は映画監督だもん。下手な演出には我慢できないでしょう。一つ一つの演目には見るべきものがあったわけだから、これはやはり統括する側の責任だよ。おまけに日本選手団の入場時のスマホ禁止って、気の利かない高校の校則か?ほかにもっと、やることあるでしょうが。開会式以来、関係者のコロナ感染は増加の一途だし、プレイブックも形骸化。ルールを守らない人続出。そしてそれを規制できない関係者。そうこうするうちに首都東京の感染者は3,000人を越え、すでに呪文も効果無し。呪文って、ほら、あの「安全~安心~」てやつだよ。唱える回数がまだ足りてないんだ、きっと。さらにさらに、コロナウイルスが原因で食事すらままならない国民がたくさんいるのに、まだ食べられる弁当を4,000食分捨てたとか、もー、あげ始めたらきりが無い。いくら何でも、不手際多すぎ。高校の文化祭のほうがまだマシかも。これじゃ頑張っているアスリートたちがあまりにも気の毒だ。前出のSさんも、世界に向かって胸を張るのはもうムリなんじゃない?

※「ノブレス・オブリージュ」フランスの格言のようなもの。文学者、開高 健が愛したことばでもある。

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 日本語の語感 

 今日、初めて蝉の声を聞いた。と言っても、ミンミンゼミやアブラゼミのような王道ではなく、明け方どこからともなく聞こえてくる単調なあれだ。

 七夕が過ぎたばかりで、関東はまだ梅雨も明けていないが、蝉の声を聞くと一気に夏を感じるのは僕だけではないだろう。この後梅雨が明ければ太平洋から白南風(しらはえ)が吹き込み、本格的な夏がやってくる。

 南風(はえ)というのは、夏に太平洋高気圧が南から運んでくる熱風のことだ。梅雨時期の湿った風を黒南風(くろはえ)、梅雨明け以降の乾燥した風を白南風(しらはえ)と言う。こうした日本独特の語感が何とも好きだ。だいたい、南風と書いて「はえ」と読ませるなんて、当用漢字ではあり得ない。そう言えば、「城ヶ島の雨」という歌曲の歌詞に「利休鼠の雨が降る」というのがある。別にネズミが雨のように降ってくるわけではなくて(それはほとんどホラーですね)、あの有名な茶人、利休が好みそうな渋い灰色の雨が降っている、という意味だ。この「利休鼠」という色を実際に利休が好んだという事実はなく、「好みそうな」と、勝手に判断しているところが面白い。色としては緑がかった灰色で、「りきゅうねず」と読むのが正しいそうだ。しかし、なぜ「ねず」で切ったんだろうねえ。

 昨年2月にプチ入院したエピソードでも触れたが、「東雲(しののめ)」とか「暁(あかつき)」などといった語感も好きだ。色の名前にも「浅黄(あさぎ)」とか「萌黄(もえぎ)」など、良い語感を持つものが多い。面白いのは、同じ「あさぎ」でも、「浅黄」だと黄緑系なのに、「浅葱」と書くと青系の色になる。そういえば、20年以上前にある通販サイトで「500色の色鉛筆」というのを買った。今もリビングに飾ってあるが、この色名も凄かった。「クレオパトラの朝食の蜂蜜」だの「ジュラ紀のアンモナイト」だのと、よくもまあ500通りもこじつけたものだと感心してしまう。別に茶化しているわけではない。実際そのセンスはなかなかオシャレだった。ただし、鉛筆自体は「この色とこの色、どこか違うか?」なんていうこともあってちょっと笑える。

 ところで、この曖昧とも言える日本語の語感の形成は、いったい何に起因しているのだろうか。僕が思うに、ひとつは四季の変化。狭い国土であるにも関わらず、その変化が比較的大きいこと。そうした変化の中で夏に憧れたり、春を待ちわびたりするうちに感性が磨かれ、「歳時記」や、俳句における「季語」などという季節感を大事にする文化が育まれていった。そして同時に「うるさいな。まるで5月のハエみたいだな。よし、五月蠅と書いて『うるさい』と読ませちまおう」などという訳のわからないセンスが育まれた・・・かどうかはわからないが、そんなレベルの思考の流れが多分あったのだろう。そしてもう一つがアニミズム。

 日本では八百万(やおよろず)の神がいるだけでは事足りず、なんにでも魂が宿ってしまう。使い古した道具を粗末にすると祟られる、なんていう話もあるぐらいだ。つまり何にでも容易に感情移入できる特質。こうした要素が相まって、初夏を麦秋(麦にとっての収穫期=秋)と読んだりする独特の感性や価値観が形成されていったのではなかろうか。他に考えられるとするならば、まあ適当なんだろうね、良い意味で。だって「南風=はえ」とか、当て字にもなってないもの。

 これから盛夏を迎え、8月下旬になるとミンミンゼミやアブラゼミの声が次第にツクツクボウシに変わっていく。空にはトンボが目立ちはじめ、水田は黄色く色づいていく。こうした微妙な変化を無意識のうちに感じながら生活してきたのが日本人なのだろう。

 僕の愛読書に「一度は使ってみたい 季節の言葉」というのがある。著者は長谷川櫂という現代の俳人。俳句の季語を、それにまつわるエピソードを紹介しながら解説している。お堅い本ではなく、気軽に読める体裁だ。水野克比古という写真家の写真が添えられていて、これもなかなかいい。後に続編も出版された。ちょっと気分を変えたいときなどに重宝している。残念ながら今は絶版だと思うが、どこかで見つけたら、ぜひ目を通してみて欲しい。こんなに多種多様な日本語があったのか、と驚くこと請け合いだ。

 2ページでひとつの言葉を解説している。それぞれに写真が1枚。このページでは「端居(はしい)」という言葉について触れている。「夏の夕暮れ、縁に腰かけて一抹の涼を探るのが端居である」とある。