流行ってわからない
ワイドショーで興味深い話をしていた。なんでも、この夏フィッシングベストがファッションとして流行ったという。そのポケットの多さと、ちょっとしたワンポイント的なアクセント効果が評価されたらしい。特に今年は女の子が注目していて、街角のインタビューでも「かわいい!」とか「機能的!」という声をよく聞いたとか。
僕は記憶力が良いのか、それとも性格が悪いのか(多分後者)、いろいろなことを人よりよく覚えていたりするのだが、確かフィッシングベストは、若い男性の間では2~3年前にも流行ったと思う。当時もワイドショーなどで取り上げられていたが、取材のポイントはまったく違っていて、「フィッシングベストをファッションに取り入れている若い男性をどう思うか?」という観点で街行く若い女性にインタビューしていたと記憶している。しかも、インタビューの結果は「ダサい」「おじさん臭い」という意見がほとんどだった。見事に惨敗。それから2~3年経った今、女の子たちが「かわいい!」と言ってファッションに取り入れるようになったわけで、ホントに流行ってよくわからない。
昔「ザ・フライ」という、人間がハエに変身してしまうホラーSF映画(1986年)があった。その主人公(男性)のクローゼットには同じジャケット、同じスラックス、同じ靴が幾つも収納されていて、「これなら何を着るかで悩まないだろ?」と言うシーンがあった。合理的。いや、これは冗談ではなくて、実は僕もこの方式をワードローブの一部に取り入れている。ウケの良かったコーディネートをいつでもできるように、同じアイテムを複数購入するのだ。一番多いのはドイツ連邦軍のセーターと茶のコーデュロイのスラックスかな。どちらもへたれてくると買い足して、多分5着ずつあると思う。夏用の麻のスラックス(黒)も多分3本ある。黒のタートルは毎年2着は買い込んでいる。これらは、ごくたまに「いつ洗ってるの?」なんて聞かれるほどのヘビーローテだった。種明かしをしてみせると、「こだわり方がお洒落ですね」と言われるか、「・・・」とあきれられるかのどちらかだ。
問題はお気に入りのコーディネートが他人をも納得させられるかどうかであって、僕は流行なんか気にしないので、確かにこの方式は楽。そのへんにあるものを適当に組み合わせても結構マッチするので(そもそもがマッチするように選んでいるので)、「今日のコーデ、良いですね」なんて言ってもらえる。不思議なもので、こうしてイメージが確立してくると、たまに新しいアイテムを導入しようものなら、「らしくない、いつもの方が決まってる」なんて意見も飛び出して、ちょっと寂しかったりする。
ファッションについては、特に男の場合はフォーマル・カジュアルを問わず、ベーシックなポイントさえ押さえていれば間違うことはほとんど無い。女性の場合は・・・こんな話がある。
「ある女性とフレンチ・レストランで食事をした。その夜、彼女は素晴らしいドレスを着ていた。趣味の良いハンドバッグを携え、イヤリングとセットのネックレスがとても素敵だった。・・・つまり、彼女のコーディネートは失敗だったということだ。」
勘の鋭い人はもうおわかりだろう。ファッションというものは基本、脇役であって、個々のアイテムが強く印象に残ってはいけない、というのだ。今の話で言えば、「その時の彼女はとても素敵だった」でなければならない。なぜ素敵に見えたのか、その演出が相手に悟られてしまうようではダメだ、ということだ。これはある有名なブランドのデザイナーの言葉として、その筋では有名な話だ。ちなみに本意は個人のファッションセンスについて言及したものではなく、デザイナーとしてのポリシーを語ったもの。確かに、一般論としてはちょっと極端な言い回しではある。まあ、参考程度にしていただければ、ということで。
流行は刻一刻と変わる。その全てが自分に似合うとは限らない。大事なのは、自分にはどんなアイテムが似合うのかを知るということだろう。