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 夏といえば怪談 2023「おかえり。」

 シャミという名の、うちで飼っている猫どもの女ボスは、僕がベッドに入るとおなかの上に乗ってくる。読書などしようものなら、「私がここに居るのに、なんで本なんか読んでるのよ?」と言わんばかりに猫パンチを浴びせてくる。もちろん本に、だけど。でも君ねえ、もういい歳のおばさんだろ・・・いやいや、そういう話ではなかった。実はおなかの上にシャミが乗っていると、時には乗っていなくても、近頃もう一匹が足のあたりに跳び乗ってくるのだ。以前は身体を起こして確かめたりもしてみたのだが、そこには何も乗っていなかった。

 最も多いとき、うちには8匹の猫がいた。みんなもとはノラで、4匹はうちの敷地で生まれた。この何年かで3匹を失い、今は5匹。亡くなった1匹は老衰による腎不全、あとの2匹はうちで生まれた兄妹(多分)で、遺伝的に身体が弱かったらしく、1匹はやはり腎不全、もう1匹は何とかいう血栓のできる病気で亡くなった。シャミはこの2匹を含む4匹を産んだ母猫だ。

 昨日の夜もシャミは僕のおなかの上で眠り、夜半過ぎに、足もとにもう1匹が跳び乗った感触で目が覚めた。タオルケットの上に着地したときの、「ぽふ」という音まで聞こえたような気がした。今では身体を起こして確かめることはしない。ただ小さな声で「おかえり。」と呟く。

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 夏といえば怪談 2023 「あるライフプラン・コンサルタントの場合」

 今回のタイトルになっている「ライフプラン・コンサルタント」とは、うちに来ている例の保険屋さんのことだ。そうです、あの熊の肉をくれたり、黒いボルボに乗っていたりする、あの保険屋さんです。何で言い方を変えたかって?だって、カタカナの方がかっこいいじゃないですか。

 実は前回紹介した、息子さんが変なものを見るという話も、この保険屋さんの話なんですね。ただし、彼女自身は「見える人」ではなくて、亡くなったご主人が「見える人」だったらしい。だからその血を継いだ息子さんも「見える人」。仮に見えなくても、何かあると右腕が痛くなるとか。

 話題が話題なので、なんとなくぼやかして書いていたんだけど、本人曰く、「いいですよ、普通に書いちゃっても」ということなので少し書きやすくなった・・・のかな?そんなわけで、今後は単に「Kさん」と表記することにします。何しろ家族ぐるみでいろいろな経験をしている人なので、話題には事欠かない。そこで、今日はKさんのおばあさんのエピソードを一つ紹介したい。

 今回Kさんに来てもらったのは、次女のために条件のいい保険を紹介してもらおうと思ってのことだ。前回その話をして、今回は書類を作る段取りだ。Kさんはこう切り出した。「実は前回説明した内容に訂正があるんです。」前回の内容?それは僕の入っている保険のことかな。それとも娘が入る新規のほうのことか?「あれ、寺でも神社でもありませんでした。」「は?」「昔祖母が取り憑かれたときにお世話になったのって、近所の拝(おが)みやさんでした。」そっちの話かよ!ホントにこの人は、うちに何しに来てるんだか。そういえばKさんのおばあさんって、墓場から他の家の霊を連れて帰ったことがある、なんて言ってたっけな。

 そもそもこのおばあさんが、その昔、例の出先で亡くなったおじいさんの霊を慰めた人で、ある知人に言わせると、「優しいから霊が憑きやすい」特性を持っているという。この知人というのが、そういった事柄を生業とする盲目の老婆だったそうで、当時、Kさんの家では何か異変が起こるたびに、この人に相談していたらしい。Kさんのおばあさんがまだ若い頃、この老婆に「あなたは優しいから、墓参りのときに隣の墓の人(というか霊)がついてきている。戻してあげた方がいい」と言われて、祓ってもらったことがあるんだそうだ。

 ところで、Kさんが住んでいるのが割と近場だったということはもう話しただろうか?直線距離なら1キロと離れていない場所に、Kさんの実家があるのだ。だから話に出てくる場所も僕の家から近いエリア内がほとんどだ。例えば例の盲目の老婆が住んでいた場所は、聞いてみればうちの近所だったりする。散歩がてらに歩いて往復できる距離だ。おお恐。ただし、そういった人物が住んでいたという話に聞き覚えはない。僕が今の場所に住み始めたのは25年ほど前だから、おばあさんのエピソードはそれより大分前のことだろう。

 Kさんの家では、2階の向かって右側の部屋でいろいろと起こる、という話も聞いた。Kさんの家は僕がよく買い物に行くスーパーまでの道のりの途中にある。その道から右にそれて3軒目、周囲には畑が多いので車からもよく見える。この話を聞いた後、家の前を通るたびに2階の右側の部屋に目が行くようになってしまった。普段はあまり使われていないらしいが、窓に誰か(というか何か)いたらどうしよう、なんて思う。だったら見なきゃいいのに、ねえ。 (つづく)

付記 そういえば、息子さんに見えていた人物は、あれ以来見える頻度がだんだん少なくなってきているそうだ。おかげであまり気にならなくなった、とのことだ。

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 夏といえば怪談 2022 こっくりさん

 これは昔兄から聞いた話だ。あまりにも古い話なのですっかり忘れていたが、久々にうちに戻っていた上の娘と話をしていて思い出した。他愛もない話なのだが、上の娘はこの話を初めて聞いた時、えらく怖い思いをしたんだそうだ。

 兄がまだ大学生だった頃、合宿と称して、サークルの友人たちと群馬県に遊びに行ったことがあった。宿は貸別荘で、夜になると従業員は管理棟に数人いるだけ。酒も入って、好き勝手に騒いでいたのだが、夜も更けた頃、ある友人が「こっくりさん」をやろうと言いだした。当時、こっくりさんは全国的に流行っていて、女子高校生が教室で「こっくりさん」に興じ、自己暗示にかかってパニックになった、などという事件が新聞に載ったこともあった。そんな時代のことだから、「こっくりさん」を呼び出す盤面なんて、誰でもその場で作ることができた。早速準備を整え、誰が彼を好き、などと他愛もないことを質問しながら時間が過ぎていった。質問を考えるのにも飽きてきた頃、友人の一人が面白い質問を思いついた。それは「あなたは今、どこにいますか?」という、こっくりさん自身に関する質問だった。本人のことを聞いても答えるのかな、などと疑問を投げかける者もいたが、とりあえずやってみよう、ということになった。

 「こっくりさん、こっくりさん。あなたは今、どこにいるのですか?」しばらくは何の動きもなかったが、やがて指を置いた10円玉が少しずつ動き出し、ある文字の上で止まった。「へ」。10円玉はゆっくり動き続け、次に「や」で止まった。しばらく待ってみたが、もう動く気配はない。「へや?」「我々が呼び出したんだから、この部屋に来てるってことだよ。」と誰かが言った。それを聞いてみんなが頷く。ところが、よせば良いのにまた質問した者がいたのだ。「部屋のどこにいますか?」すると10円玉は再びゆっくりと動き出し、三つの文字を指し示した。まずはじめに「す」。次に「き」。そして最後に「ま」。皆は顔を見合わせた。「すきま?」

 隙間はどこにでもある。クローゼットの扉の隙間、畳の隙間、となりの部屋とを隔てる扉の隙間・・・。皆がそれぞれに部屋の中を見回した。すきま。何となく気持ちが悪い。皆さんも経験がおありだろう。疲れ果ててベッドに入ったが、ふと気付いてしまう。クローゼットの扉が少し開いている。カーテンが少し開いている。あるいは寝室のドアが少し開いている。そんな些細なことがなぜか気になる。仕方なく起き出して、きちんと閉める・・・そんな経験が。この、ちょっとした隙間が、なぜか人を不安にする。

 「・・・お帰りいただこうか。」と誰かが言い出し、皆も同意したので、「こっくりさん」にお帰りいただく手順をいつもより丁寧に、ぬかりなく行った。特に何があったわけでもないのに、全員口数が少なくなっていたという。兄の脳裏には、「本当に何かが来ていたのだろうか」「ちゃんと帰ってもらえたのだろうか」などという考えが浮かび、その夜はなかなか寝付けなかったらしい。

 もともと兄は、心霊とか呪いとかを信じるタイプではない。その兄が「あれは何とも薄気味悪かった」というのだから、その場の雰囲気はただ事ではなかったのだろう。そもそも、心霊現象の類いは100%あり得ない、と言いきれる人はいないのではなかろうか。例え口ではそう言っても、そこは人間だから、心の中では(でも、もしかしたら・・・)と考えている人も多いのではないか。そんな「意識の隙間」にも、恐怖心は静かに入り込んでくるものなのかも知れない。かくいう僕自身、心霊現象には否定的だが、不可解な体験の一つや二つはある。僕の場合、そういうことに遭遇した時には判断を保留することにしている。要するに、深く考えないということだ。

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 夏といえば怪談 2022 金縛り考 

 金縛り。長い人生のなかで2回だけ経験がある。1回目は何ということもなかったが、2回目に経験したそれはご多聞に漏れず、何とも薄気味の悪いものだった。

 金縛りについては研究(?)が進んでいて、入眠時に起こるとか、脳が目覚めていて体が眠っている状態だとか、疲れている時になりやすいとか諸説あるが、あの2回目の気味の悪い感覚は、それだけで説明できるものではないような気がする。

 当時中学校教員をしていた僕は、その日、スキー実習を伴う宿泊学習から帰ってきたところで、確かにかなり疲れていた。早々に布団に入った(当時はアパート住まいで、布団で寝ていた)が、しばらくしてふと目が覚めた。照明を点けたまま寝てしまったのか、部屋の中は明るく、見える範囲にはいつも通りの室内が見えている。しかし、体が動かない。「金縛りだ。珍しいな。」そんなことを考えながら、ある事に気付いた。僕は左側の体側を下にして横向きに寝ていたのだが、上を向いている右の体側、その腰と脇腹に手が乗っている感触がある。「えっ!?」次の瞬間、その2本の手(多分誰かの両手)に力が入り、僕を仰向けにしようとし始めた。当時僕は一人暮らしだったから、部屋には僕以外誰もいない。僕は左を向いて寝ている。2本の手は背中側から僕を引っ張っている。もし仰向けにされたら、あるいは右側を向かされたら、いったい僕は何を見ることになるのだろう。そう思った瞬間、どっと恐怖心がわいてきた。体は動かせなかったが力を入れることはできたので、僕は右側を向かされないように、必死で力(りき)んで抵抗し続けた。その後のことは覚えていない。気がつくと朝になっていた。それ以後何かが起こったということもない。あれは夢だったのか?それともやはり金縛り?僕は基本心霊現象など信じない質(たち)だが、あれは怖かった。今でも、あの手の感触は忘れられない。

 次は大学時代に友人から聞いた話。ある晩、深夜に目覚めると金縛りになっていた。両手を頭の上の方に投げ出し、バンザイの姿勢で仰向けになっていたらしい。気がつくと、その投げ出した両手に何かを握っている感触がある。顔を向けることができないので確認できないのだが、意識はそれが何かを理解していた。それは猫の足だったのだ。両手にそれぞれ前足と後ろ足。アパート住まいの彼は、もちろん猫など飼っていない。それでも彼は冷静だった。「窓を閉め忘れたかな。」それで猫が入ってきたのではないか、そう思ったという。状況の異常さは、その時は意識に登らなかったらしい。翌朝目覚めると、彼は真っ先に戸締まりを確認した。猫が入ってくるような隙間はどこにもなかった。彼はその時になって初めて恐怖を感じたそうだ。

 金縛りは人間の体の仕組みにその原因があるというのは僕も理解している。だがよく言われるような恐ろしげな感覚がつきまとうのはなぜなのだろう。僕が感じた2本の手も、友人が掴んだ猫の足も、過去の記憶には無いものだ。ということは、これらは自分の心の奥底に潜む普遍的な恐怖心が、無意識のうちに作り出したものだろうか。それとも、もしかして・・・。