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 本屋に行きたい

 しばらく本屋に行っていない。それには三つの理由がある。一つは最近興味のある著者がいないこと、もう一つは雑誌やコミックスはアマゾンで買うことが多いことだ。じゃあなんで本屋に行きたいのか。答えは単純だ。僕は本屋のもつ独特な雰囲気が好きなのだ。

 本屋って、何となく知的な感じがしません?「知」を(いい意味で)切り売りしているというか、ハイレベルな書物の背表紙や帯の紹介文を読んでいるだけで、なんだか数ミリぐらい賢くなった気がしてくるというか(そんなわけあるかい)。今ではほとんど感じられなくなりつつあるが、紙そのものや印刷インクの匂いも好きだった。古本屋ならなおさらで、ちょっとカビ臭い匂いがそれに加わったりする。そうした匂いを感じることで、さらに数ミリ賢くなれるかもしれない(無い無い)。

 もう一つ、本屋に行くと、新たに面白そうな書物を「発見」するという楽しみがある。通販ではほしい本を検索するだけで、その他の書物はほとんど目に入る機会がない。アマゾンなどでは「あなたにお勧めの本」みたいな提示もあるのだが、たかが知れているし、「キミね、僕のことわかってないんじゃないの?」なんて感じることも多い。その点本屋はジャンル別にかなりの量の書物を己の欲求のままに、しかも手に取って見ることができる。これが楽しい。だが実は、僕にとってはこれが大きな問題でもある。

 冒頭で「しばらく本屋に行っていない」と書いたが、実を言うと、本屋に行くことを家族ぐるみで少し控えている。なぜなら皆がみな、目につく本をやたら買い込む癖があるからだ。例えば僕など、当初は月間のプラモ雑誌を買うつもりで出向いたのに、「あ、このS&G関係の音楽評論面白そう」だの、「パイ皮料理の本だ!そういえば持ってなかったな」だの、「おお、このMOOK本、いつの間にやら続刊が出てるやんけ」などと言いつつ、結局大きな紙袋を下げて店を後にすることになる。この衝動買い癖こそが、まさに三つめの理由なのだ。

 娘は僕より少し賢くて、ほしい本を見つけるとすぐさまスマホを取り出して、アマゾンとどちらが安く買えるかを調べたりする。恐ろしい時代になったもんだ。でもやはりまだ初心者というか、マニアックで図版の多い書物などを見つけるたびに、その値段に目を剥いたりしている。その手の専門書は販売数が少ないから単価が高いことぐらいそろそろ気づけ、と言いたい。カミさんはもっと賢くて、小一時間滞在しても何も買わずに店を出る、という荒業ができる。僕には到底真似できない。まさに「もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵」といった体(てい)だ(※)。

 うちの家族はよく近場のホームセンターやそれに隣接するモールで日用品やペット用品などを購入するのだが、その駐車場の向かいに大規模書店「蔦屋」があって、帰り道に必ず目に入る。これが見えないふりをするのが苦しい。何年も通い続けているお気に入りの店で、ここができた当時、取り扱うジャンルの豊富さに狂喜したものだ。そこには「こんな本、いったい誰が買うんだよ…そうか、オレが買うのか」といった書物がたくさんあった。なかには「こんな本、いったい誰が買うんだよ…オレでも買わねえぞ」なんて書物もあった。だがここ数年で売り場面積に占める書店の割合が次第に縮小し、新たに衣料品店とゲームソフトのショップ、そしてあろうことかビューティーサロンまでお目見えし、その犠牲になったのが僕(と娘)が好むようなマニアックなジャンルのコーナーだった。まあいつものことだから、もう腹も立たんけど。

 そんなわけで最近、「そろそろ1度ぐらい、蔦屋に行ってもいいんじゃないか?でないと本屋のスペースが無くなっちまいそうだ」なんてことを家族間でよく話す。そういえば、最後に行ったのはいつのことだったろう。ああ、本屋に行きたい。

※ 「もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵」 1981年 椎名誠 著  内容は短編及びエッセイ。表題作は活字中毒の友人をその治療のために味噌蔵に閉じ込める話。