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 やっちゃえ、タミヤ!

 プラモデルの老舗メーカーである田宮模型(以後タミヤ)が、なんだか面白いことをやっていたらしい。このところ絶版プラモの収集という沼にはまっていた僕は、このことに全く気付かなかった。不覚だった・・・!

 タミヤが2000年に、エンジン音、主砲や車載機銃の発射音、主砲のリコイルなどを再現した1/16RC(ラジオコントロール=ラジコン)戦車を発表した時は、正直ここまでやるか、と驚いたものだが、今回の企画はもっと気軽に楽しめて、おまけにちょっぴり懐かしい。

 タミヤはここ20年ほどの間に、1/16RC戦車で培ったノウハウを生かし、往年の1/25キットにRCユニットを載せて復活させたり、主力である1/35戦車キットをRC化したりして、動く戦車プラモを拡充させてきた。タミヤは戦車プラモのラインナップが充実していることで有名だが、調べてみると、こうした動く戦車プラモの歴史は1962年までさかのぼることができる。実はこの時発売した最初の戦車プラモが当時存続の危機に直面していたタミヤを救ったという過去があり、以来タミヤは戦車プラモとともに歩んできた、と言っても過言ではない。

 1950年代の末、模型業界は木製模型からプラモデルへの転換期を迎えていたが、この動きに出遅れたタミヤは1962年、社の命運をかけて「パンサータンク」というモーターで動くプラモデルを発売した。するとこれが大当たり。危機を脱したタミヤはこれを1/35スケールとしてシリーズ化、次々に新製品を世に送り出した。

 1968年、タミヤは1/35ミリタリー・ミニチュア(MM)シリーズと称して、新たにディスプレイ専用のシリーズを発表。もとより模型といえばディスプレイモデルが主流だった海外の事情も視野に入れ、より精密かつ正確な再現度のキットを目指した。その後タミヤオリジナルの工具等も続々とラインナップ。こうしてプラモデルは「子供のおもちゃ」から「大人のホビー」へと変遷していった。

 1980年代になると、ガンダムなどのキャラクター商品の台頭と時を同じくして戦車模型離れの時代が訪れたが、1989年、タミヤは渾身の名キット「タイガーⅠ型後期生産型」で、離れかけたモデラーの心を繋ぎ止めることに成功。その後新たなブームが訪れ、戦車模型専門誌まで発刊されるなか、動く戦車プラモの集大成として、2000年にⅠ/16RC戦車シリーズが発表されたことは先に述べた通りだ。そして2012年。

 この年タミヤは、MMシリーズのクオリティを維持しつつ、新設計のギヤボックスを搭載した「1/35戦車シリーズ(シングル)」を発表し、ファンを驚かせた。62年前の「パンサータンク」の遺伝子を正しく継承した、「動く戦車プラモ」だ。しかもその第一弾となったキットの一つはパンサーG型。つまり62年前にタミヤを救ったあの「パンサータンク」なのだ。

 そもそもパンサー戦車の足回りは、1/35程度のスケールでは自重で弛む履帯(キャタピラ)の再現が難しく(実際ポリキャタピラではいまだに再現されていない)、動く戦車には向かない。それをあえて第一弾にもってきたとなれば、何らかのこだわりがあったとしか思えない。おそらく企画する側にとっても、「パンサーG型」は原点回帰を狙ってのアイテム選択だったのだろう。ちなみに「シングル」とは、本体についているスイッチで前進のみ(キットによっては後進も)が可能なキットのことで、初代「パンサータンク」もこの方式だった。

 僕がこのシリーズを知るきっかけになったのは、2014年の「イギリス戦車マークⅣ(シングル)」の発売で、実際にシリーズ化されていることを知ったのは、さらに10年後の今年に入ってからだった。この新しいシリーズはスキルレベルがそれなりに高く、往年のキットのように子供が気軽に楽しめるものではないが、1960~1980年代のタミヤを知るものにとっては懐かしく、楽しいキットであることは間違いない。でも僕個人としてはあまりこのシリーズを拡充されると困るなあ。なぜかって?言わなくたってわかるでしょう、そんなこと。

左 イギリス戦車マークⅣ(2014年発売)  右 アメリカ軍M4A3シャーマン戦車(2012年発売、買ったのは今年)どちらもまだ汚しはかけていない(マークⅣは勝手に汚れていた)。ギヤボックスが工夫されていて、それぞれスケールに見合ったスピードで走る。楽しい。次はパンサーGか。

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 プラモデルとともに

 プラモデルが好きだ。といっても、今流行りのフィギュアやガンプラはこれに含まれていない。僕はスケールモデルが専門だ。スケールモデルとは、実在する、あるいはかつて実在した戦車やら戦闘機やらを正確に縮小したモデルのことである。ところで僕は、そういったモデルを単に作って楽しんでいるわけではなく、それらに関わる諸々の事象にも大変興味がある。例えば昔ながらのたたずまいを維持しているプラモ屋さんを見つけて訪問してみたり、絶版になったプラモデルをネット上で探したりする事もある。言うなればともに歩んできたプラモデルの歴史を検証しているということか。ただし、学術的な興味でそれをしているのではなく、あくまでも情緒的、言い換えれば思い出の地巡りのようなものだと思ってもらえば良いだろう。そんな中で、一番力が入るのがボックスアートの収集だ。同じ気持ちの人が多いらしく、近頃ではボックスアートの画集も何種類か出版されていて、僕としては嬉しい限りだ。ちなみに僕は美術系の大学出身で、美術に関わる仕事をしてきた。そしてそのきっかけになったのも、小学生の時に何気なく始めたボックスアートの模写だったのだ。人間、何がどう影響するかわからない。だから、プラモ屋さんなどで古ーいキットを見つけて、それが記憶に残っているものだったりすると、思わず買い込んでしまって妻を閉口させている。正直、買いためたキットを置く場所もなくなってきた。  

 ちょっと横道にそれるけど、カメラについても同じような嗜好があって、ニコンの名機F2フォトミックAの極上品を見つけて即買いしたことがある。このカメラのTVCMがかっこよくて、今でもカセットテープに録音したものが残っている。使うためというよりは、思い出を収集しているといった感じだ。当時のものを集めることで、その時代がよみがえるような錯覚に陥っているのだろう。もしかするとこれは老いの始まりかもしれない。  

 さて、ボックスアートである。僕には今でも忘れられないボックスアートがいくつかあるのだが、その中でもベストなのが、タミヤの1/21デラックス戦車シリーズの3号戦車(シングル)のボックスアートだ。背景の空の青、わき上がる雲、戦車兵の勇んだ表情、どれをとっても印象的で、後に作者である高荷義之画伯がその画集の中で「自分の最高傑作」と書いているのを知ってとても嬉しかった。デッサンの狂いやマーキングの間違いなども確認できるのだが、一枚の絵画として優れた作品だと思う。子どもだった僕にとって、それが兵器であることなどどうでも良く、ただただそのかっこよさに心を躍らせていた。その頃の僕は、ボックスアートさえかっこよければ中身が多少変でも許せた。しかし、その逆は絶対になかった。そういう意味では、ボックスアートは子どもに夢を見させる魔法ですらあったのだ。  

 あるプラモ雑誌で例の3号戦車等のボックスアートをジオラマで作って撮影するという特集を組んだことがある。キットはオリジナルのものを使っていたが、写真の出来はあまり良くなかった。実はそれに先駆けて、僕はすでに同じ事を試みていた。手前味噌で申し訳ないが、自分の作品の方が雰囲気の再現では勝っていたと思う。なぜなら特集の作品がスタジオ撮りであったのに対し、僕は背景を本物に似せて描き、自然光を使って撮影したからだ。勿論光の来る方向も調節した。戦車本体についても間違ったマーキングを再現し、あり得ない場所に予備転輪を配置するなどしてボックスアートの再現に努めた。この作業の様子を見に来た今は亡き父が、にやにやしながら「人生が楽しくないわけがないな。」とつぶやいたのを今でもよく覚えている。この写真は街のプラモ屋さんのコンテストで銀賞をいただいた。勿論ジオラマも展示した。今はため込んだキットを作る時間もままならないが、そんなこんなを全てひっくるめて、僕はプラモが大好きなのである。

 平野克美 編 「高荷義之 プラモデルパッケージの世界」(大日本絵画)より

 こんな感じ。これは実際に展示したもの。使用したのはタミヤ1/35MMシリーズの3号戦車。マローダー(墜落機)の角度がちょっと・・・。土煙はペイントショップで加筆。 イラストで飛んでいるドイツ機は残念ながら省略。

 ちなみに本文で言及した某プラモ雑誌編集部の作品は大日本絵画社の「タミヤの動く戦車プラモデル大全」(2008年発行)86ページに掲載されている。オリジナルのタミヤ 1/21デラックス戦車シリーズのキットを使用。こちらは高荷義之画伯が後に加筆・修正したものを再現したのかもしれない。この修正後のイラストは徳間書店の「高荷義之 イラストレーション」(1986年発行)等で見ることができる。