ハギスという食べ物
昨年の今頃、「ハギス」というものを初めて食した。知ってます?ハギス。僕はもともと酒好きで、と言っても浴びるほど大量に飲むという意味ではなくて、例えばスコッチだったらノッカンドゥが好き、とか、ボルドーワインの白も捨てたモンじゃないよ、とか、そういう飲み方だ。普段はビールが多いのはよそ様とあまり変わらない。おかげでここ数年、人間ドックでは肝臓の数値がひっかかり続けている。ウイスキーについては、若い頃はバーボン一辺倒だったが、30代を過ぎてからはスコッチに切り替えた。特にシングルモルトが好きなのだが、通というほどのものでもないので、「ボウモア」のような癖のあるものにはちょっと手が出ない。定番の「グレン・フィデック」から始まって、今は「ノッカンドゥ」が好きである。好きな酒についてはその背景や歴史を調べてみたくなるのが常で、スコットランドについての文献をいろいろと読みあさり、それなりにスコットランドの地理や地勢、食生活やら音楽やらの情報を得たのだが、そのなかにたびたび「ハギス」という料理が登場する。
ところで皆さんご存じの「蛍の光」という曲。あれはスコットランド民謡のメロディーに日本語の歌詞をつけたものだ。スコットランドでは過ぎ去った過去を旧友と懐かしむ歌で、歌詞がだいぶ違う。そしてその歌詞を書いたのが、スコットランドの国民的詩人である、ロバート・バーンズという人。ご存じのように、イギリスはそもそも4つの王国からできている。そのうちの一つ、スコットランド王国の国民的詩人という意味で、けっして「UK」の国民的詩人という意味ではない。ここはちょっと大事なポイントです。
さて、スコットランドでは年に一度、ロバート・バーンズをたたえる日というのがあって、この日に食べる夕食をバーンズ・サパーという。そして、ここで必ず食されるのが「ハギス」なのである。どんな食べ物かというと、羊の内臓をミンチにし、オート麦と牛の脂と数種類のハーブにスパイス、刻んだタマネギ、さらに塩を加えて羊の胃袋に詰め、数時間ゆでたもの。食べる時には胃袋から取り出してマッシュポテトやゆでた蕪を添え、スコッチを垂らして熱々をいただくんだそうな。一種の郷土料理である。ちょっとびっくりしたのは、使われている内臓に「肺」まで含まれていることだ。内臓好きの僕は今までいろんな部位を食べてきたが、「肺」はまだ食べたことがない。何かの番組でヨーロッパのマーケットの店先に、動物の肺が原型のまま山積みになっているのを見たことがあるので、向こうでは一般的なのかもしれない。ちなみにロバート・バーンズはハギスをたたえる詩も書いているというから徹底している。
もっとハギスのことを知りたくて、ある時知り合いのイングランド出身の英国人に「ハギス、食べたことあるか?」と聞いてみた。すると彼はいきなり指を2本口に入れて「オエーッ」と言った。彼はそれで答えたつもりらしい。なるほど。イングランド出身者に聞いた僕が馬鹿でした。イングランド人はいつもスコットランド人を見下しているからなあ。もっともその逆も事実なんだけど。こうまで徹底しているとはねえ。
こんな小咄がある。イングランド出身の教授が、新しい辞書を編纂する際にオート麦の説明として「スコットランドでは人間の食料だがイングランドでは馬の飼料として使われる」と書いた。するとスコットランド出身のもう一人の教授が、その後に「だからイングランドでは優秀な馬が育ち、スコットランドでは優秀な人間が育つ」と付け足したという。イギリスってほんと、変な国である。
さて、そんなハギスを一度食べてみたいものだ、と常々思っていたのだが、ある時、意を決してネットで調べてみた。すると・・・結構あるもんですね。まず「アマゾン」で缶詰がヒット。さらに自分で作ってみた体験談やら、自分で作れる材料のセットやら、ハギスにまつわる記事も結構見つかった。レシピに関しては、日本でも簡単に手に入る代替え品を材料に使っているものが多かったので、ここはスコットランド人が日常的に食しているであろう缶詰にねらいを定めた(作るのに手間がかかるので、さすがのスコットランド人も普段から家庭で作るということはあまりないそうだ)。というわけで早速1缶注文。お届けまでがやけに長いなあと思ったら英国のショップからの直送であった。
届いた包みを開けて驚いたのは、缶にプルリングがないこと。今時・・・ねえ。さすがは英国、という感じ。仕方がないので缶切りを探し出してきて蓋を開けた。すると、なにやら灰色の、脂ぎった塊がぎっしり詰まっている。美味そうに見せよう、なんて工夫は微塵もない。匂いはちょっとコンビーフに似ていて、そこにレバーペーストのような匂いも混じっている。悪くはない。ただ見てくれが・・・。そうだ、熱々で食べるんだっけ。少量を皿に取り、電子レンジで加熱。あたためがまばらで、配色がより一層恐ろしい雰囲気に。よく混ぜてもう一度加熱。これでやっと、トマトと一緒に煮込む前のミートソースのようになってきた。よく見ると、ところどころに黒いきれはしが混じっている。形や色からすると、もしかしてこれ、腎臓じゃないか?よし、食ってみよう。小さなスプーンで恐る恐る一口。んー、なんというか、複雑な味だ。でもけっして嫌いな味ではない。ただ、味につかみ所がない。コンビーフとレバーペーストの匂いがする何か。その「何か」の部分が説明できない。なんだか、「レバーペーストを作ってたんですが、そのへんに余ってた臓物がもったいなかったのできざんでいれちまいました」という感じ。でも、これ良いかも。この不思議な味は癖になる。その証拠に、翌日の職場で何度も味の記憶がよみがえってきて、「早くうちに帰ってハギス食おう」的な思考が頭の中を駆け巡っていた。ヤバイ薬とか入ってないだろうな、と真剣に考えたぐらいだ。
ビールにも凄く合うのでつまみにもってこいだし、山のように盛ってマッシュポテトと蕪を添え、スコッチを振りかけてメインとして食するという本格的な食べ方も試してみたい。でもそれにはもっと大量に買い込まねば。何はともあれなかなかいい買い物をしたと思う。内臓臭が嫌いな人はダメだろうけど。そのへんは確かに万人向きではないかもしれない。
3缶目が届き、この食生活が長く続きそうな予感がしてきたところで新型コロナが蔓延し始め、残念ながら英国からの輸入は現在、ストップしたままだ。あれからほぼ1年、早くコロナ禍が落ち着いてくれることを願うのみだ。イギリスに美味いものなし、と言うが、ハギスはスコットランドの寒風吹きすさぶ岩だらけの地が育んだ、寒さをしのぐための料理なのだという気がする。少なくとも僕は好きだ。次は一緒に購入したキドニー(腎臓)パイについても書いてみようと思う。