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 水木しげるの偉業

 もはや知らぬ人はいないであろう、漫画界の巨匠、水木しげる。その代表作の一つである「ゲゲゲの鬼太郎」には数多くの妖怪が登場する。一反木綿、子泣きじじい、砂かけ婆・・・。だが、これらの妖怪の中には、そのビジュアル・イメージが水木しげるのオリジナルであるものが多く含まれていることを知る人は少ない。 

 その昔、鳥山石燕(1712~1788)という絵師がいた。妖怪画集「画図百鬼夜行」を著した事で知られている。石燕は古い文献をひもとき、当時姿のわからなかった、あるいは目に見えない現象だけの妖怪にも姿を与え、数多く紹介している。この仕事を現代に引き継いだとも言える存在、それが水木しげるだ。彼は時代の新しい妖怪や石燕が取り上げなかった妖怪にも光を当て、より多くの妖怪を世に紹介してきた。興味深いのは、彼が描く妖怪画は石燕の作品に代表される古い妖怪画を参考にするのみならず、独自の感性をもって、民芸品や道具、欄間の彫刻などもモチーフにしたことだ。例えば、後述する「砂かけ婆」は佐渡島の「鬼太鼓」の面がもとになっていると言われている。

 水木しげるは点描の手法を多用し、細密画と言ってもいい精緻な図版を数多く残している。特に初期の作品は漫画の作品とは一線を画するもので、画集も早い時期から出版されていた。この時期の作品を新しい時代のそれと比較すると、その感覚の違いがよくわかる。というのも、描かれる妖怪の姿がある時期以降、そのまま漫画に登場させてもおかしくないキャラクター性の強いものに変化してきたからだ。その典型的な例を紹介しよう。

 実は別の原稿(まだUPしていない)を書いている時に、「べとべとさん」について調べていて、面白い記事を見つけた。「べとべとさん 本当の姿は」で検索すると見つかるのだが、この質問に対するベストアンサーに「大きな黒いソラ豆のような・・・」と書かれている。僕はこの「べとべとさん」を知っている。30年以上前に古書店で購入した、水木しげるの「ふるさとの妖怪考」という画集に、この「べとべとさん」が掲載されている。それは何か得体の知れない扁平な形の「モノ」で、一部に隙間が空いていて中が少し覗いている。だが中身が何なのかはよくわからない。確かに、ソラ豆に似ていると言えば似ている。

 一方、ご存じの方も多いと思うが、現在流布している「べとべとさん」のビジュアルは、歯を剥き出し、ニヤニヤした口だけの大きな丸い頭から2本の足が直接生え、裸足か、もしくは雪駄を履いている。怖いというよりかわいらしい。しかし実は、もともと「べとべとさん」には姿など無い。目に見えない足音だけの存在なのだ。つまり、こうした不可視の存在にイメージを与えたのが鳥山石燕であり、水木しげるなのだ。

 こうして水木しげるは数多くの、本来姿のない妖怪に具体的なイメージを与え続けてきた。実は「ゲゲゲの鬼太郎」の準レギュラー、砂かけ婆もその一人(一人?)だ。いにしえの伝承によれば、深い森の中や神社の境内などで突然砂が降りかかるのだが、正体については「その姿を見たるものなし」ということになっている。見た人がいないのに「ばばあ」って・・・というわけで、「ばばあ」という言い回しも、元は「ババ(糞便)」ではないかという説もある。

 おそらく、これらのイメージは定番として、今後も多くの人々から認知され続けるだろう。だが安手のビジュアル情報が氾濫する現代においては、水木しげるのような逸材は、もう現れないのではなかろうか。

作成者: 835776t4

こんにちは。好事家の中年(?)男性です。「文化人」と言われるようになりたいなあ。

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