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 風の音

 最近風の音が気になる。気になると言っても、それは必ずしも不快という意味ではなくて、むしろ心地よいことの方が多い。

 遙か昔、まだ僕が受験生だった頃、勉強に疲れると窓から抜け出して、人通りの途絶えた深夜の通りを散歩した。僕の家は郊外にあったので、あたりを照らす明かりといえば僅かな街灯か、家々の消し忘れた玄関灯ぐらいのものだったけれど、当時の世の中は今よりもずっと治安が良かったから、なんということもなかった。

 周囲に背の高い建物はほとんどなく、広い空き地が隣接していたので、通りからは空を広く見渡すことができた。今でも憶えているのは、星空の下を月明かりに照らし出されたちぎれ雲がかなりの速さで移動していく様だ。そんな夜には、地上に風が吹いていなくても、空の高みからごぉっという風の音が聞こえてきたものだ。その音を聞くと、なぜか心が安らぐ気がした。

 おそらく仕事に就いてからだろうか。長い間風の音など気にもしなかったが、コロナ禍以降、在宅となってからは自分の部屋で一人パソコンに向かうことが増えたので、特に冬場など、風の音を再び認識するようになった。風の音が気になる、と書いたのは、そういう意味だ。

 僕の仕事部屋は2階にある北向きの三畳間で、窓からは順光に照らされた田園風景が見渡せる。近くには小さな神社の森と竹林があり、風が吹けば視覚的にもそれとわかるのだが、部屋には喫煙のための換気扇が設置されているので、パソコンに向かってキーボードを叩いている時などは、むしろ換気扇の開口部を通して聞こえてくる音で、風が吹いているのを知ることが多い。家の周囲には水田が多く、吹きさらしの地域なので、時には換気扇を逆転させるほどの強風に驚かされることもある。そんなとき、ふと「人間も、理解できない物音に怯える野生動物と大差ないな」なんて思う。

 今でも実家に帰ると、家の周りを散歩することがある。かつての空き地には12階建ての大きなマンションが建ち、空を見渡すことはできなくなった。さすがに深夜出歩くことはないが、多分治安も昔ほどよくはないだろう。そうした環境の変化も相まって、今の若い人たちは空を眺めたり風の音を聞いたりするよりも、ネット動画などに費やす時間の方が多いに違いない。だがそれは仕事を終え、自宅に戻った後も社会とのつながりを断ち切れずにいるということでもある。あの夜、僕が風の音を聞いて安らぎを感じたわけは、僕の意識がほんのひととき、文明や社会のしがらみから切り離されて、本来在るべき場所に戻っていたからではないか。そんな気がしてならない。