カテゴリー
未分類

 付喪(つくも)神の話

 昨年ガステーブルをリニューアルした。それまでのものは25年間使い続けた。料理好きの僕の酷使によく耐えてくれたと思う。業者も「よく持ちましたねぇ」と驚いていた。

 こういう買い換えなどの時に少し困ることがある。どうやらうちは付喪神がつきやすい家系らしく、なかなか先代がダメにならないのだ。だから、いざ買い換えてみると操作方法が違っていたり、新しい馴染みのない機能が備わっていたりして、扱いにくいことこの上ない。ものによっては2世代ぐらい違っていたりする。例えば炊飯器。買い換えるまでに30年以上使った。以前娘の友人が来た時に、ふと目をとめて「これ、何の機械?」と聞いているのを耳にしたことがある。それほどデザインが今の炊飯器とかけ離れている(単純な円筒形)。買い換えの理由は液晶表示がダメになったからで、炊飯機能自体はまだ生きていた。だから今も捨てずに床の間に飾ってある。娘たちも「炊飯器パイセン(先輩)」と呼んで崇めている。いったいなんの宗教だ。

 前にも書いたように、車もなかなか壊れない。今乗っているプジョーの406(セダンのほう)は23年のつきあいだ。その間故障はほとんど無し。他に電気ストーブ45年超、ジッポライター(一番古いもの)40年超、今使っている腕時計はかれこれ32年になる。扱いがそれなりに丁寧であること、ものによっては修理やオーバーホールをかけたことなども長持ちの理由だろう。しかし、一番の理由は「気に入っている」ということかもしれない。

 僕は間に合わせの買い物を滅多にしない。いつもしっかり吟味して、納得した上で気に入った品物を購入するようにしている。だから一つ一つに愛着がある。最近では後から買ったもののほうが早くダメになるということも多く、つくづく昔の製品はよくできていたと思う。つまり、こちらの愛情にしっかり答えてくれるということだ。しかも単純な構造で、機械いじりに慣れた人なら自分で修理できるものも多かった。余談だが、娘たちが初めて僕に尊敬の念を抱いたのは、動かなくなったオモチャを目の前で直してやった時だったそうだ。もちろん電子部品が多いオモチャはそう簡単にはいかなかったけれど、機械的な故障や配線の問題ならお手の物だった。

 そんなわけで、うちには付喪神がたくさんいる。安易に捨てると祟られるかも知れない。だから下の娘は今でも、ご飯を炊く時に「炊飯器パイセンの臓物(こともあろうに内釜をそう呼んでいる)」で米とぎをする。手に馴染んでとぎやすいのだそうだ。まさか、嫁に行く時に神様ごと持って行ったりはしないだろうな。

炊飯器パイセンさまであられまする。