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 夏と言えば怪談(その1)

 教員をしてた頃、学校出入りの旅行業者に聞いてみた。「あのさあ、仕事柄答えにくいかもしれないけど、ここだけの話、出る宿って本当にあるのかい?」僕としてはかなり気を使ったつもりだった。だって旅行代理店が特定のホテル等の営業の妨げになる話をするのはまずいだろうと思ったから。しかし彼はにっこり笑うと、こちらの気遣いも顧みず、めいっぱい明るい声で「ああ、ありますよ!」                      まるで「ご希望のホテルには、まだ空きがありますよ!」みたいな感じだった。どういう感覚してんだ、この人。

 彼が言うには、大きな温泉地などには必ず1軒や2軒はそういう類いの宿泊施設があるという。「そんなの当たり前じゃないですか」といった体(てい)だ。さらにこう付け加えた。「霊感の強いスタッフが添乗員としてそういう宿に入ると大変なんです。大騒ぎされて、こっちも眠れませんからねえ。」ホントかよ。そして彼は興味深い話を聞かせてくれた。「ヤバイ部屋の見分け方があるんですよ。部屋番号を見るとだいたいわかるんです。」彼の話はこうだ。

 通常部屋番号はきちんと並んでつけられているが、宿によっては「4(し=死)」を嫌ってとばすことがある。例えば 302-303-305 といった具合で、これは良くある事だ。ところが希に、もっと不自然なならびの部屋番号があるというのだ。 305-306-リネン室-308。「リネン室」は「プライベート」の場合もある。普通なら 306-リネン室-307-308 と続くはずだが、この場合はもともとあったはずの「307号室」が何らかの理由で「リネン室」等に変更されたことになる。しかもほとんどの場合、そこはリネン室などではなく、室内は通常の客室のままであるという。つまり、「リネン室」の表記は何らかの理由で一般客に提供できなくなった客室のカモフラージュ、というわけだ。ここまで来れば、もうおわかりですね。

 彼が言うには、「一番困るのは修学旅行などの大所帯の添乗の場合、部屋が足りなくて添乗員がそういった部屋をあてがわれることがあるんです。僕なんかはあっても金縛り程度なんですが、霊感の強い女性スタッフなんかはもうパニックですね。次の日は仕事にならないこともあります」とのことだ。「こういう『リネン室』の両隣や向かいの部屋は、できることなら避けた方が良いです。」だから業者顔で普通に言うなってば。

 他にも、飾りロープでうやうやしく人止めのしてある階段などは近づかない方が無難だそうだ。そう言えば、僕も一度だけそういう階段を見たことがある。立派な作りの階段なのに人止めがしてあって、照明まで落としてある。不思議に思ったので良く覚えている。当時はどこか壊れかけているのかなと思ったのだが、あるいはそういうことだったのかもしれない。

 彼は仕事のできる男だし、顧客からもかなり信頼されている。そんな彼が、いつもの打合せと変わらない笑顔で、口調で、こんな話をするのだ。しかもリアルだ。なんだか聞くんじゃなかったな、という感じ。だけど、実を言うとある修学旅行の引率で、僕も不思議な体験をしたことがある。(つづく)

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  JTBのAさん

 以前、僕は教員をしていたことがあった。そのほとんどの期間は中学校に勤めていたから、何度も修学旅行の引率をした。僕の住んでいる地域では、修学旅行といえば京都・奈良方面と決まっていて、京都なんて、プライベートを含めると20回近く訪れていると思う。そんな修学旅行の世話は旅行会社が請け負っており、毎回各社のプレゼンを聞いて担当する会社を決定する決まりだった。ある年、僕が主任をしている学年の修学旅行にJTBがつくことになった。担当はAさん。打合せのために何度も学校を訪れた。この人はまだ若いので腰が低く、いつも笑顔を絶やさず、それでいてちっとも嫌味な感じのしない好青年だった。僕は「せっかく高い金を払わせて行くんだから」と、無理難題を押しつけるのが常だったが、彼はいやな顔ひとつせず、むしろ自分も面白がって、いろいろな提案をしてくれた。夕食を宿で取らず、外食にしたこともあったし、東京駅から地元までの帰りのバスを地元の会社ではなく、あえて「はとバス」を使ったこともあった。どちらもAさんと僕で考えたアイディアで、この二つのアイディアはしばらく僕の務めていた地域のスタンダードになったが、僕らが発案者であることは、多分誰も知らないだろう。本当のことを言うと、はとバスに関してはほぼAさんのアイディアだ。そしてこれには訳がある。実はその前にやはりAさんと組んだときに、僕がとんでもない提案をしたことがあって、それをAさんが覚えていたのだ。

   2泊3日の修学旅行。当時3日目の昼食は新幹線のなかでとることになっていたのだが、その弁当の予算は高くても1,000円が相場だった。しかしその時、僕は2,600円の弁当を出すようにお願いしたのだ。Aさんはその型破りの指示に驚き、予算について心配していたが、当時はおおらかな時代だったので、何とでもなった。言っておくが、もちろん合法的に、だ。ではなぜそこまで弁当にこだわったのか。理由はその弁当の味と、体裁にあった。おいしいことは絶対条件だったが,その弁当箱は12升に区切られており、その一つ一つに京の12ヶ月に関する料理が詰め込まれていた。お品書きがついており、その料理がどこそこの寺や神社と関係することや、料理の由来が説明されていた。僕はAさんにこう言った。                   「帰りの新幹線に乗ってからも京都の余韻に浸れるし、自分の行った寺社の説明があれば良い復習になると思ってさ。修学旅行はうちに帰るまでが修学旅行って、よく言うだろ?」     このことを覚えていたAさんは気を利かしてはとバスを選んだらしい。彼はこう言ったのだ。                「先生は以前、家に着くまでが修学旅行だと言っていましたね。だからはとバスなんです。この意味、わかります?」    「どういうこと?」                                                    「バスが東京を抜けるのに30分はかかります。その間に東京の有名な場所をいくつか通ります。はとバスのガイドさんなら、その全てをきちんと説明することができるんです。」                               そこまで考えてくれたのか!やっぱりこいつはたいした男だ。仕事の枠を超えている気がする。しかし、本当のサプライズは最後の最後にやってきた。

 Aさんと組んだ最後の修学旅行。その時、彼は出世していて、普通の添乗はしない立場になっていた。僕が頼んでも答えは同じだった。噂ではほかの学校も同じように添乗を依頼したようだが、もちろん彼は、その全てを断っていた。まあ仕方のないことだ。そう思いながら当日集合場所に行くとAさんがいる! ・・・あ、そうか。上役が見送りに来るのはよくあることだ。それはそれでありがたい。僕は彼に近づき、声を掛けた。                   「見送り?大変だね。」                  すると彼は、にっこり笑ってこう言ったのだ。       「いえ、僕が行きます。何とか調整しちゃいました。」 「・・・えっ!それってまずいんじゃないの?だってほかの学校、みんな断ったんでしょう?」             「いえ、大丈夫です。多分。」               多分ってなんだ?こっちは嬉しいけど、本当に大丈夫なのか?修学旅行は地域の中学校の日程が何校か重なる。現地で、いや修学旅行専用列車でも他の学校とバッティングする。バレバレだ。全く心配させてからに。案の定、1日目から見つかって、となりの車両(他校)に呼ばれて「なんで他校にいるんだよー。」なんて言われているのが通路越しに聞こえてくる。ナンだかなあ。しかし、この旅行が僕たち二人にとって最後なのはわかっていた。僕は来年、他の学校へ異動することがほぼ決まっていたし、彼は東京にご栄転の噂があった。お互い、特別な気持ちで臨んでいたんだと思う。

 2日目、ホテルで本部待機していた僕のところへAさんがやってきた。                      「先生、お昼どうします?」              「え?まだ何も考えていないけど。」           「寿司とりましょう、寿司!僕おごりますよ。」       「え?いいよいいよ、自分のぶんは出すよ。」       「いえ、おごらせてください。」              彼はポケットマネーで代金を支払ったようだ。領収証をもらわなかったのを僕は見ていた。だが、旅行会社の職員が教師に昼飯をおごるなんて聞いたことがない。でもあの笑顔で言われちゃ断れないよなあ。

  そして3日目。東京駅からは例によってはとバス。今では一つの楽しみになっている。地方都市にある学校近辺をはとバスが6台連なって走るのを見て、地域住民が目を見張る。それを車窓から見ているのが何とも面白い。やがてバスが学校周辺の大通りに停車した。生徒が全員安全に降車したことを確認した直後、Aさんが振り返って僕を見た。あの笑顔だ。                          「先生!お疲れ様でした。無事終わりましたね。ありがとうございました。」                       そう言って彼は、右手を差し出してきた。思わず僕はその手を握った。握手?業者と職員が?これも聞いたことがない。普通じゃあり得ない。彼が続ける。              「いや、楽しかったです。先生と組むと仕事が楽しいです。本当にいろいろなことを教えていただきました。」        それはお互い様だ。あんまりびっくりしてしどろもどろに何を言ったか、今ではもう思い出せない。とにかくそんなわけで、僕には何から何まで驚きだらけの修学旅行になったのだった。  僕の異動が確定した頃、彼が再び学校を訪れた。彼の方も「ご栄転」が決まり、その挨拶に来たのだ。僕は彼を見つけると声を掛けた。                         「あのあと、大変だったろう?」             「はあ、支店長にこっぴどく叱られました。」       「大きな声じゃ言えないが、僕も異動が決まったよ。そっちも東京だって?」                      「はい、おかげさまで。いよいよ添乗はできそうにないです。」                                                                         そしてこう続けた。                   「先生と、もう一度京都に行きたかったです。本当にお世話になりました。」                       それは僕も同じだよ、Aさん。              「ほかの学校も回らなきゃならないんで、これで失礼します。先生もお元気で。」                    「ありがとう。Aさんもがんばってね。」          これが最後の会話だった。

  打合せのために彼の携帯電話の番号を聞いてあった。迷惑を考えてあれ以来かけたことはない。だが僕は今でもそのナンバーを保存している。もしかしたらもう繋がらないかもしれないが、そんなことはどうでもいい。なにはともあれ、僕にとっては大事な宝物なのだ。