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 「五番街のマリーへ」

 この前「昔はみんな旅に出た その3」で言及した曲なんだけど、原稿を起こすにあたって、あらためて聞いてみた。やっぱり、良い歌だなあ。良い時代の、良い歌。だけどこの曲には謎も多い。その一つが「五番街とはどこにあるのか」。同じ疑問を持つ人は多いらしく、ネットでも質問やらアンサーやらが相当数ヒットする。だが、五番街=京都の映画館の旧称、横浜にあった娯楽街、佐世保の大規模商業施設・・・。どれをとっても「昔からの人が住んでいる」ような環境じゃない。だいいち、商業施設に定住って、それはむしろホームレスであろう。

 そんなわけで、あれは作詞者阿久悠氏の心の中にだけ存在する、架空の街としておいた方が無難な気がする。例えばその街はマンハッタンの下町のような風情で、ハイソサエティとは縁遠く、小汚いが、かといってスラム街というほどでもない。地に根を生やしたような住人(マリーも含め、なぜか日本人)が多く、年寄りは昼間から酒を飲み、遠い昔の自慢話に花を咲かせている。けっして裕福ではないけれど、皆、心優しい人ばかり。そんなふうに、僕は想像している。

 この曲がヒットした1970年代は日本の経済成長が一段落して、人心にゆとりができはじめた時代。国際的にも一流国の仲間入りを果たし、洋楽や洋画が盛んに輸入されていた、そんな時代だ。「五番街のマリーへ」はペドロ&カプリシャスというグループの曲で、彼等が先立ってヒットさせた「ジョニーへの伝言」のアンサーソングとも言われている。この2曲はどちらもアイドル歌謡やフォークソングとは一線を画していて、洋風の大人びた曲調を持ち、アダルト層にも受け入れられてロングヒットとなった。ちなみにペドロ&カプリシャスのリーダーはペドロ梅村。この時期にはこうした和洋折衷のネーミングの実力派アーティストが少なからず存在していて、僕のお気に入りの柳ジョージ(本名 柳譲治)もその一人だった。余計な話だが、彼が年老いた在日アメリカ人女性の思い出を歌った「青い目のステラ 1962年夏・・・」という曲は、カラオケでは僕の十八番(おはこ)だ。こちらは「五番街のマリーへ」とは違い、どうも実話らしい。心にしみる歌だから、一度聞いてみて。

 話は戻って、「五番街のマリーへ」なのだが、歌詞の中で好きなのが、昔に言及する部分。古い街で昔からの人が住んでいる、とか、マリーという娘と遠い昔に暮らしていた、とか。特に良いのは、ここに住んでいた頃、マリーは長い髪をしてたんだよ、というくだり。今はどうかわからない、それほど時が経ってしまった、と。すごくわかるんだけど、この感情は説明できないよなあ。そして最後は、五番街は自分にとって近くて遠い街、察してくれよ、と終わる。人は歳をとることでしか理解できないことも多い。そしてほとんどの場合、理解できた頃にはどうすることもできなくなっている。ホント、切ないなあ。でも、だからこそ人生ということもある。人はこうしたことを経験するたびに強く、優しくなっていくんだと思う。少なくとも昔はそうだった。

 もう一つ、「ジョニーへの伝言」で、伝言する側の女性が、踊り子に戻ればまた稼げるから大丈夫、みたいなことを言っているのを聞くと、この人も、前に紹介した「逃避行」の女性も、多分夜の仕事なんだろうな、なんて勝手な解釈をしてしまう。もちろん夜の仕事の女性イコール社会的弱者というわけじゃないけれど、ことさら歌の世界では悲しげな人が多いよね。男が馬鹿者で女が悲しげだと一曲できちゃう、というか。でも、「五番街のマリーへ」のマリーはなぜか「夜」系のイメージが感じられない。男の方も「逃避行」の例と違って、若さ故に恋よりも自分の夢を優先してしまったのではないかと・・・。今になってそれに気づき、自責の念に駆られている、これって、根っからの馬鹿者じゃないと思う。自他共に認める切れ者の誰かさんも言ってたじゃないですか、「認めたくないものだな、自分自身の若さ故の過ちというものを」って。そもそも根っからの馬鹿者って簡単には治らないから、自分のしたことに気づきもしないもんね。