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 引きこもりなのかな。 (R50指定?)

 最近ちょっと気になっている。僕は昭和という時代に引きこもっているのではないだろうか。

 なぜそんなことを考えるようになったのか。事の起こりは新年あけてすぐにYoutubeで見つけたある動画だった。それは1990年の2月(だったかな)に行われた、アメリカのエンターティナー、サミー・デイヴィスJr.の芸歴60周年記念アニバーサリーの動画だった。このアニバーサリー・イベントに集まった顔ぶれがすごい。フランク・シナトラ、グレゴリー・ペック、クリント・イーストウッド、グレゴリー・ハインズ、ボブ・ホープ、シャーリー・マクレーン、ステイビー・ワンダー、リチャード・プライヤー、ディーン・マーチン、マイケル・ジャクソン、ディオンヌ・ワーウィック等々。そして総合司会はエディ・マーフィー。いずれ劣らぬ名優・エンターティナーたちだ。僕が子供の頃、両親とTVで親しんだ人たちも多い。このころはみんな生きていたんだなあ。

 勢いにのって検索を続けると、次に見つけたのは「ダニー・ケイとニューヨーク・フィルの夕べ」というコンサートの動画(※)。あー、これ子供の頃にTVでやってたよ。確か「世界のショー」とかいう枠だった。コンサートとは言うものの、俳優でコメディアンのダニー・ケイが面白おかしく指揮をして観客を笑わせる、まさしくこれはショーだ。あの頃のNHKはレベルの高い海外のエンターティンメント番組をよく流していた。有名なミュージシャンのワンマンショーや、大道芸人のパフォーマンスを特集した番組もあったっけ。楽しかったなあ。今のNHKからは想像もつかない。

 何度も書いているように、僕は子供のころから1950~60年代の洋画や洋楽に慣れ親しんできた。そんな僕がこういった動画を見ていると、もの悲しい気分に陥ることがある。というのも、動画で見たスターたちのほとんどが、今はもういないことをあらためて実感してしまうからだ。例えば先ほどのサミー・デイヴィスJr.だが、実はアニバーサリー・イベントの3か月後に亡くなっている。他の出演者たちも、前記したメンバーのうち、司会のエディ・マーフィーを除けば今は4人しか残っていない。しかもそのうち二人は90歳を超えている。生涯にわたって多くの観客を楽しませてきたあのダニー・ケイも、1987年に76歳で亡くなり、今はもういない。

 彼らが活躍した時代は僕の時代よりも20~30年ほど前だ。音楽に例えるなら、「70年代のハード・ロックやヘビメタを聞いて育ったが、親がよく聞いていたので50年代のジャズにも詳しい」といったところか。ただ僕の場合、自分の世代より古い文化のほうが影響が大きかったようだ。楽しく、幸福感に満ちたエンターティンメントの世界は、年端もいかない昭和の子供にとって強烈な印象を残した。その後遺症とでもいうのか、僕は今もいにしえの洋画を鑑賞したり、50~60年代の洋楽をレコードで聞いたりすることが多い。

 そういった外国文化に長年慣れ親しんできたおかげで、平成や令和の日本文化には今一つ馴染めないところがある。勿論普段の生活に支障があるわけではなく、90年代以降の映画や音楽も楽しんできた。でも精神的に頼るなら、こうした外国文化が盛んに紹介されていた昭和の頃のおおらかさのほうが安心する。だから時に当時の映画やエンターティナーたちの動画をさがしまくったりするわけだが、よく考えてみるとこれは一種の逃避ともとれるし、もっと言うなら懐古趣味という名の引きこもりではないのか?そんな気がしてきたんだよ、最近。いやいやどうも、困ったもんだ。

※ 「世界のショー ダニー・ケイ」で検索すると、TV放送したソースをそのまま字幕入りで鑑賞できる。ただしビデオ録画に起因する映像の乱れあり。

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 まだ使える

 最近昭和が何かと話題になる。昭和という時代に憧れる若い世代の話もよく耳にする。なぜだろう。

 昭和はある意味、今よりも豊かな時代だった。優れた製品がどんどん開発され、「メイド・イン・ジャパン」は高品質の代名詞となった。こういった製品はそれなりに高価で、かといって手が届かないほどではなく、手に入れば大きな満足感があった。だから当然大事に扱う。頑丈で、たとえ壊れたとしても当たり前のように修理がきいたから、長く使うし、愛着もわく。愛着のあるものに囲まれて過ごす人生は心豊かである、というのは、これまで生きてきて実感するところだ。今はどうか。いや、今に限定しなくても、家電量販店の「修理するより買い換えた方が早い、安い」という常套句はいつの間にか当たり前になった。壊れたものはすぐ買い換える。修理の依頼は可能だが、割高で時間もかかるから、一般的ではなくなった。これでは愛着も何もあったもんじゃない。さらに今の製品が長期にわたって使える品質かどうか、という問題もある。要するに作る側の事情だ。

 ニコンといえば、日本を代表するカメラメーカーの一つであることは、誰もが知るところだろう。だが今や、その製品のほとんどは「メイド・イン・タイランド」。10年ほど前、現在の愛機であるニコンDfを購入した時に店員が言った「このカメラは国内生産ですから信頼できます」という台詞を今でも思い出す。タイや中国の技術力にケチをつけるわけではないが、自国、あるいは自社の名に恥じない製品を作ろうとする精神性においては、差が生じるのは必至だろう。つまり「メイド・イン・ジャパン」は、一般的な製品においてはもはや神話でしかない、ということだ。加えて最近当たり前になってきたプラスチック・ボディのカメラなんて、昭和生まれの僕には到底納得できない。実際にその手のカメラを壊したことがあるが、金属ボディだったらあり得ないような状況での破損だった。確かに生産性は良いようだが、強度や精度、耐熱性といった点ではまだまだ金属製ボディにはかなわない。熱や経年劣化による変形の問題もあって、カメラのような精密機械には向かない、という話も聞く。新製品の開発スピードと相まって、買い換えが前提であるとしか思えない。

 今になれば一つのものを長く使い続けることの楽しさがよくわかる。確かに修理に出している間は不便を余儀なくされるが、それと引き換えにちょっとした満足感や心の豊かさを手に入れることができるような気がする。30年使い続けている腕時計、中学生の時に買ってもらった一眼レフ、何度も修理に出した40年前のジッポ・ライター・・・。これらの品々は人生をともにする相棒であるとともに、記憶の蓄積でもある。修理やメンテナンスに対応してくれるメーカーの存在もありがたい。彼らなしにはこの充実感はあり得ない。だが修理に携わる人材も今では大分少なくなったと聞く。

 誰かがこう言ったとする。「令和に買い換えた方が早いし、便利ですよ。」だが僕は慣れ親しんだ昭和という時代を修理しながら、今後も可能な限り使い続けるだろう。そうすることによって、人の心はもっと豊かになるかもしれない、なんて最近よく思うのだ。

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 昭和が良いのは・・・

 最近昭和家電がブームだという。昭和の旧車(絶版車)も大人気だ。どこぞには昭和のテーマパークもお目見えしたらしい。なぜそれほどまでに今、昭和?

 昭和という時代には太平洋戦争(第二次世界大戦)があって、敗戦国である日本は、一度は墜ちるところまで墜ちた。しかしその後、朝鮮戦争やベトナム戦争の軍需景気もあって、日本は奇跡の復興を果たした。ここで言う昭和とは、それ以降の時代を指すのだろう。

 この時期はちょうど高度成長期に当たっていて、人々の暮らしが上向きに転じ、明るい兆しが見え始めた頃。国産の家電や自動車が行き渡り始め、それが改良に改良を重ねることによって世界レベルの品質となり、やがてメイド・イン・ジャパンは最高品質の代名詞となった。高度成長期が一段落した後も生活を豊かにするための技術は進化し続け、明るい未来が待っていることを誰もが信じて疑わなかった。ところが、時代が平成となり、半ばも過ぎる頃になると、明るいと思われていた未来に陰りが見え始める。地球温暖化の問題だ。

 それ以前にも排気ガスや産業排水等の問題はあったが、こればっかりはスケールが違う。一国の努力で何とかなるレベルじゃない。しかも今ある生活を切り詰めないと今後の生活自体が危うい。こうして明るい未来の後ろ盾だった科学技術は、今や明日の我が身を救うための手段となった。とは言うものの、そもそも地球温暖化の原因は科学技術の進歩そのものだし、二酸化炭素の排出量削減のために電気自動車が量産されたとしても、その電気を作るためには、やはり燃料を燃やす必要がある(日本は火力発電が8割)。原発なら二酸化炭素は出さないが、その立地や安全性、使用済み核燃料の廃棄方法など、まだまだ問題が多い。さらに最近では電力不足をカバーするために計画停電まで行われるようになった。これって、今ある科学技術では問題を早期に解決できないから、とりあえず人間が我慢しろってことだよね?つまりここに来て初めて、科学技術が万能じゃないってことを思い知らされたわけだ。

 こうしたある種の閉塞感、言い換えるなら「未来への不安」が日常生活に重くのしかかり、人をして憂鬱にさせたり、自暴自棄にさせたりしている可能性は十分考えられる。加えて、科学技術に依存した手抜きの人間関係により、人を傷つけることに抵抗を感じない輩(やから)が増え、便利な素材が色々と開発された結果、ゴミの分別やリサイクル等の制約も増えた。ルールを守る人ばかりではないことは周知の通りだ。

 振り返ってみれば、昭和の人々は「これからもっと良くなる」という期待を糧にして、当時の生活でも十分満足していたし、多くを望まず、足りないところは地域内で補い合うすべも持っていた。物事がもっと単純だったから、生きるのも今よりずっと楽だった気がする。そんな昭和の大らかさが、現代人の目には眩しく映るのかも知れないなあ。

 今でも覚えているんだけど、あの頃のパン屋は食パンを切り売りしていて、ジャムやピーナツバターを塗ってくれた(もちろん別料金)。ジャムやピーナツバターの量なんて特に量るわけでもなく、パン屋のおじさんとおばさんでは量が違ったりするんだけど、そこは運の善し悪しで片付けて、誰も苦情なんて言わなかった。パンと一緒にファンタを1本買うと、当時はビン売りで40円、飲み終わってビンを返せば10円戻って来た。4本買って1本タダになる計算だ。だから、子どもはビンをそのへんに捨てるなんてことは絶対にしなかった。

 肉屋でコロッケを買うと、たまに一つおまけしてくれたが、今のスーパーやコンビニではそんなことはまずあり得ない。チェーン店やフランチャイズ契約の店は、上からきちんと管理されているからだ。あの頃は個人商店がほとんどだったから、采配は店主の自由で、そこに「気持ち」というものが働く余地があった。だからあの頃は物がなくても人の心は豊かで自由だった。今では物は捨てるほどあるが、かえって飽くことのない欲求が生じる。世の中が複雑化しすぎて制約も多い。これでは心が窮屈になるのも当たり前だ。 

 明るい未来への展望とささやかな満足感、そして束縛されない心。それが昭和という時代を理解するキーワードかも知れない。