映像を早送りで鑑賞する人たち
最近映像を早送りで鑑賞する人が増えているという。単に鑑賞時間の短縮に留まらず、なんでも、時間はかけたくないが、友人との(映画の)話題にはついて行けるようにしておきたい、というのも理由の一つなんだそうだ。
僕は気に入った映画は必ずソフトを購入するかディスクに落として保存している。いつでも見られるようにしておきたいからだ。そんなふうにして20年以上にわたって親しんできた映画でも、今更ながらに新たな発見がある事も少なくない。「あいつ、後ろでこんなことやってたんだ」とか、「あ、ここで伏線しいてたじゃないか!」とか。こうしてみると、早送りでは気付かない演出も多く、逆に言えば、早送りで作品を鑑賞するのは、こうした監督の意図や俳優の表現をないがしろにすることにもなるだろう。それは絶対にやるべきではないと思う。とは言っても、何度も見てきた映画の一部を飛ばすことはたまにある。タルコフスキー監督の旧ソヴィエト映画、「惑星ソラリス」が良い例だ。冒頭の未来都市を延々と映し出すシーンは、さすがの僕も早送りする。なぜかって?だって、東京でロケしたシーンだもん。制作当時(1972)のソヴィエト人には、立体的に交差する首都高速は未来の交通機関に見えたかも知れないが、日本人には日常の風景。「あー、赤坂だこれ」なんて言いながら日本語の看板や個人タクシーなんぞを見ている必要は無いだろう。いやいやもしかして、ストーリーを左右する重大な伏線が潜んでいたりして・・・(無い無い)。
そういえば、実はもう一つ気になっていることがある。ネットについては素人である僕は、このブログを立ち上げる時にいろいろとわからないことがあって、あちこちのサイトを調べてみた。ドメインはどの会社で取るのが良いか、読んでもらうためにはどんな工夫をすれば良いか、等々、懇切丁寧な解説がたくさんあったのだが、その中にこんな記事があった。「今の人は長い文章を読むことに慣れていないので、文章はできるだけ短く、文面は密にならないように・・・」というのだ。確かに、初めて僕のブログを読んだ人が、「こりゃ小説だァ!」と言っていた。これは勿論比喩だろうが、なるほど、それでスカスカのブログが多いのか、と合点がいった。あなたも見たことがあるでしょう、不自然に行間の広いブログのページを。そういえば娘たちの読んでいる「ライトノベル」も、昔の岩波文庫なんかと比べるとページがやけに白っぽい。もしかすると、「今の人」はツイートとブログの区別なんてどうでも良いのかも知れんなあ。もしこの状況が事実だとするならば、相当本離れが進んでいるということだ。いいのかねえ、こんなことで。
こんな時代だからこそ、せめて映画ぐらいはじっくり鑑賞して欲しいものだ。よくできた映画は人生を変えるほどの力を持っている。前にどこかで書いた気がするが、それは財産になり得る。ホントだって。