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 夏といえば怪談 2023 「貞子の落日 その1」

 そろそろ夏ということで、WOWOWでは「貞子」シリーズを一挙放送した。今回「貞子DX」を見たことで、おそらくすべての「リング」関連作をコンプリート。ただし、あまり意味は無かった。結局どれをとっても「リング」を超える作品には巡り会えなかったからだ。確かに続編が駄作、というのはよくある話だけど、「貞子」シリーズ、ちょっと酷すぎないか?

 今では長い髪に白いワンピース姿で両手をだらりと下げた貞子の姿は、国の内外を問わず定番となっている。でも一つだけ確認しておくと、実は原作では、貞子は一度もその姿を現していない。勿論TV画面から出てくる描写もない。あの姿は映画「リング」のオリジナルだ。

 映画では終盤、映像の中の井戸から現れた貞子が画面を抜けて出現。狂気の眼差しで犠牲者の傍らに立つ。そして絶叫する犠牲者のアップでカット。この演出が上手いな、と思う。この映画、冒頭から一貫して、見る側は結局何があったのかを知ることが出来ない。犠牲者のすさまじい死に顔から、「何か恐ろしいものを見たらしい」という推測だけが語られる。見る側は自分が最も恐ろしいと思うことを勝手に想像して恐怖する、という仕組みだ。

 古来、日本の怨霊は相手の命を奪う際、「取り殺す」という方法をとってきた。「取り殺す」とは、「取り憑いて殺す」「祟って殺す」という意味だ。かなり抽象的。そういった意味で、「リング」における貞子は典型的な日本の幽霊であると言える。たとえば、事後に尋常ではない状態の死体が発見される。人々がつぶやく。「一体何があったんだ?」この得体のしれない死に様こそが、西洋人の震撼するJホラーの怖さなのだ。日本の幽霊は、いくら効率が良いからといって、決してチェーンソーなんか使わない。だってそうでしょう。「貞子に取り殺されたらしい。傷口の状態からすると、凶器はチェーンソーだな。」「警部、血のついたチェーンソーが見つかりました!少し離れた茂みの中に!」いったい何の映画だよ。

 「貞子」シリーズを見ると、あの黒髪が伸びて犠牲者に絡みつくシーンにすごく違和感を感じる。襲い方が具体的に描写されているからだ。しかも、これがあまり怖くない。まるで、貞子がちゃちな妖怪か何かのように見える。ここは是非とも、中川信夫監督の「東海道四谷怪談(1959)」に学んでいただきたい。この映画では、お岩は何もしない。ただ「伊右衛門どの~」と呼びかけながら出現するだけだ。だが演出が際立っているので(?)、伊右衛門はその姿を見て錯乱し、血迷い、自滅していく。

 「四谷怪談」や「リング」では、犠牲者は恐怖のあまり死に至る。つまり「死ぬほど怖い」。それに比べて、欧米のホラーの怖さは痛い怖さだ。「死ぬほど痛い」。その結果、首が飛んだり血がいっぱい出たりして死に至る。そしてその過程をこれでもかと言わんばかりに描写する。これらは恐怖の質という意味では全くの別物だ。心理的か物理的か。この差は大きい。

 近年ベストセラーとなった「山怪」という本に興味深い実話エピソードがある。何人かで山道を歩いていると、道ばたでしゃがみ込んでいる女がいた。一人が声をかけると女が顔を上げ、その男だけがその顔を見たのだが、とたんに男は惚(ほう)けたようになり、高熱を発し、数日後に息を引き取る。その間、男は「あれはものすごい顔だった あんなものすごい顔は見たことがない」とうわごとのようにつぶやいていた、という話。見ただけで死に至る顔なんて、想像がつかない。だからこそ怖い。

                      (つづく)