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 「オレが作った」

 ある高校の軽音楽同好会。これを作ったのは僕である。

 当時ロックバンドは若者にとって流行りというか、誰もが一度はギターを、みたいな雰囲気があった。高校合格のお祝いに自分のドラムセットを手に入れた僕は、高校に入ったらその手の部活で腕を磨くぞ、なんて考えていた。ところが、その高校の音楽系部活動のラインナップは「コーラス部」「クラシックギター部」「吹奏楽部」。バンドのバの字も無いじゃないか!当時は学校説明会なんてなかったから、こういうことは良くあった。でもどうしよう?しばらく途方に暮れた。

 学級でこのことを話題にすると、オレもやりたいなあみたいなことを言うやつは結構いた。他のクラスにも数人見つかった。そこで思った。作れば良いんだ。だがメンバーは足りるか?顧問は?はじめは部活動としては認めてもらえない。あくまでも同好会で、予算はつかない。それはまあ良い。顧問は音楽の先生がやってくれそうだ。場所は・・・場所!何しろロックバンドだ。音がでかい。うまく良い場所が見つかるだろうか?

 そんなこんなで1ヶ月。何とか練習場所も見つかり、同好会創設にこぎ着けた。初代会長は僕だ。そこで予想外のことが起こった。上級生が2人、入れて欲しいと訪ねてきたのだ。隠れ同好の士。パーマの長髪。こんな人いたっけ?「会長は1年から出します。それで良いですか?」「良いよ。俺たちはギターさえ弾ければそれでいい。」頼もしい助っ人だ。しかも2人。よっぽど我慢していたんだろうなあ。特にHさんという先輩はギターも上手で気さくな人だった。初心者の僕らにいろいろなことを教えてくれた。

 ところで、当時ロックは不良の音楽。15歳で教室のガラスを割って回ったりはしなかったが、隠れて煙草を吸うメンバーはいた。駅前の喫茶店が僕たちのたまり場で、良くミーティングをした。「煙草を吸うときは上着脱いでねー。」なんて店のおばちゃんに言われながら、楽しい時間を過ごしたものだ。なぜか楽器もやらない、歌も歌わないというメンバーが何人もいて、一緒に行動するのが常だった。今思えば、あれが僕らの青春(死語。でも死語にしちゃいけないんだよ、こういう言葉は)だった。人生で一番輝いていたように思う。

 そんなわけで生徒指導の先生には常に目をつけられていた。根拠のない疑いをかけてくるので、良く口論した。あるとき僕が職員室に乗り込んでやり合っていると、別のある先生が突然僕の名を呼んで、「お前が正しい。」と言ってくれたのには驚いた。生徒指導の先生はぐっと詰まった。「勝った!」そう思った。その僕が教育現場で最後に担当した仕事が生徒指導。もちろん、理解のある教師でしたよ!しかし、あの先生これを聞いたら泣いちゃうだろうな。それから、助け船を出してくれたK先生、あの時は本当にありがとう。あなたのことは一生忘れません。

 軽音楽同好会は今も健在らしい。ただ、いまだに部活動にはなれないようだ。高校の同級生が母校の教師となり、ある同窓会の席でつぶやくのを聞いてわかった。「軽音には手ェ焼いてんだよな。まったく、あんなサークル誰が作ったんだ?」近場にいた事情を知っている同窓生たちは一斉に僕を見た。僕は笑いをこらえるのに必死だった。というのも、ぼやいているのはそこそこ仲の良かったやつだったからだ。あの時のことは記憶からすっかり抜け落ちているらしい。一段落して言ってやった。「オレ。」「え?」「オレだよ。オレが作った。」「何を?」「だから、軽音だよ。オレが作った。忘れたのか?」しばらく彼は沈黙した。今度は周囲が笑いをこらえている。彼ははっと我に返ると、「お前なあ、なんてことしてくれたんだよ!どんだけ苦労してっかわかってんのか?」だが顔は笑っている。周囲は大爆笑していた。「忘れていたお前が悪い!」なんて、逆に攻められていた。そうか、伝統は健在か。よしよし。