新年、明けはしたんだが・・・
昨年最後の記事で「穏やかな良い年になりますように」とは書いたものの、明けてみれば元日から大地震に飛行機事故と、とんでもないニュースの連続。「おめでとう」という言葉を使うことが憚られる正月って、いったい何なんだろう?日本は大丈夫なんだろうか?
さて、今年はいろいろと事情があって、3日に日帰りで帰省した。帰省と言っても、車で1時間ほどの距離だ。帰省する時に必ずすることがある。まず午前中のうちに家族で実家の近場にあるショッピングモールに寄り道し、アンティークショップを覗く。さらに駄菓子屋コーナーを経て食品売り場に行き、毎年恒例の駅弁大会を覗く。今年は娘の希望で、いつも混み合っている洋菓子店にも寄った。こうしていろいろと買い込んだあと、実家に赴(おもむ)くのがいつものパターンだ。
兄夫婦が「正月料理に飽きたから、うちの分も駅弁を買ってきてくれ」と言うので、昼食は実家で駅弁パーティーと相成った。午後からは兄と僕だけで、老舗の模型店に行く。この店はその昔、まだサンタクロースが我が家を訪問していた頃からの付き合いで、当時工作材料として一般的だったバルサ材や、ゴム動力で飛ぶ、角材や竹ひご、ニューム管(知らないでしょう。「アルミニューム管」の略です。「アルミ管」で良さそうなもんだが、何でニューム管?)などで作る模型飛行機のキットも扱っていた。東日本大震災を機に移転して、旧店舗がなくなってしまったのは残念だが、残っていた古いキットや中古プラモがいまだに並んでいてちょっと楽しい。2代目(多分)が一人で切り盛りしているのだが、高齢なので最近は客が来た時だけ、奥から出てくる。その筋では割と有名な店で、タミヤ模型の会長である田宮俊作氏も訪れたことがあるらしい。
今年はレベル(プラモデルのメーカー)の1/174 B52戦略爆撃機のキットを見つけた。組み立て説明図によれば1977年のもののようだ。箱の角は擦れて白くなり、一部破れたところをセロハンテープで止めてある。同梱のアンケート葉書には「20円切手を貼ってください」とある。まさしく当時もの。しかも箱絵に見覚えがある。というわけで即買い。兄も何やら見つけて購入したようだ。これが兄と僕の、盆と正月における恒例行事なのだ。だが今年は例年と違って、ちょっと気になることがあった。
店主は以前から足が悪かったのだが、今回は店に出てくるのにも苦労していた。接客のために立っているのが気の毒なぐらいだ。以前に比べて口数も少なくなり、それにならうように商品の数も少なくなった。そうか、仕入れもままならないのか・・・。
帰り道、僕らは車の中でこんな会話をした。「あの店が無くなったら、俺たちはどこへ行ったらいいんだろうね。」「昔から、子供が遊びに行けるような楽しい店だったからな。あんな店、他にないよ。」「今のプラモデルは大人の趣味というか、子供が小遣い握りしめて買いに来るような代物じゃなくなっちゃったよなあ。」「だからほら、とうに潰れたA店もB店も、子供の姿なんてなかったじゃんか。大人志向でさ。あの頃から何かがおかしくなったような気がする。」
勿論子供向けのプラモデルは今も存在する。ただしそれはゼンマイやモーターで動くおもちゃ的なものではなく、あくまでもディスプレイモデルで、大人でも満足できる完成度だ。しかもスナップキットという接着剤を使わないはめ込み式のものが多い。当時のプラモデルと現代のそれとでは、概念からして違うのだ。
僕らにしてみても、今ではプラモデルは「作るために買う」というよりも、「所有して安心する」あるいは「思い出を蒐集する」といった、本来とは全く違う目的で買い求めることが多い。まあ、大人になっちゃったからね。でも、だからといって周りを見回してみても、僕たちが昔そうであったような子供はもういないような気がする。不謹慎を承知で紹介するが、今回の能登地震で被災した小学生が、始業式が遅れることについて「授業が遅れることが不安です」なんて言っていた。僕たちの頃はそんな心配は親任せだったけどなあ。だって、小学生だよ?当然、「やった!休みが増えた!」という反応だろう。
いずれにしても、あの老舗模型店は僕らにとって最後の砦だ。今しばらくは存続してくれることを願ってやまない。