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 誰か、ミスター・ボージャングルスを知らないか?

 「ミスター・ボージャングルス」とは、アメリカのカントリーシンガー、ジェリー・ジェフ・ウォーカーが1968年にリリースした曲のタイトルだ。

 飲み過ぎてぶち込まれた留置所で、年老いた旅回りの芸人に出会ったんだ。彼はボー・ジャングルスと名乗った。白髪混じりでよれよれのシャツ、くたびれた靴を履いていた。

 彼は優しい目で自分の人生について語り、膝を叩いて笑った。「昔はショーのステージや郡のフェスティバルに出たこともあったんだぜ。南部は一通り回ったな」

 そのあと彼は、15年一緒に旅した犬のことを、目に涙を浮かべながら語った。その犬が死んでもう20年もたつのに、彼は今でも悲しんでいた。

 場が暗くなったのを察してか、誰かが彼にダンスをせがんだ。すると彼は見事なソフトシュー・ダンス(※1)を披露してくれた。高く、高くジャンプしてはふわりと着地するんだ。

 「チャンスさえあればいつだって踊るよ、でも日銭を稼いではほんのちょっと飲み過ぎて、酒場を追い出されちまうんだ。今じゃ留置所にいる時間のほうが長いくらいさ」そう言って彼は、やれやれと首を振った。すると、誰かがこう言う声が聞こえたんだ。

 ミスター・ボージャングルス、踊ってくれよ、もう一度…。

 この曲はJ・J・ウォーカーが体験した実話がもとになっているそうだ。上の文章は歌詞と実話を織り交ぜているので、本来の歌詞とは少し違うが、だいたいこんなところだ。

 「ボージャングルス」とは留置所にいた旅芸人が実名を隠すために名乗った偽名で、実は全く別の人物のニックネームでもあった。その人物とは1920年代に活躍したアフリカ系アメリカ人のダンサーでタップダンスの名手、ビル・ロビンソンという人。おそらくその旅芸人はビル・ロビンソンに憧れていたのだろう。あるいは、俺にだってあれぐらいのことはできるのに…という自負があったのかもしれない。

 「ミスター・ボージャングルス」は1970年にニッティ・グリッティ・ダート・バンドがカヴァーしたバージョンが大ヒット。71年にはビルボードの9位まで上り詰め、日本のラジオでもよく流れていた。僕が初めて聞いたのもこのバージョンだ。

 アメリカの有名なエンターティナー、サミー・デイヴィスJr.もこの曲をステージに取り入れ、思い入れたっぷりに歌い、踊った。先に紹介したビル・(ボージャングル・)ロビンソン、すなわちミスター・ボージャングル(※2)がタップの大先輩だったことも理由の一つだろうが、人種差別が当たり前だった当時のアメリカで、アフリカ系とユダヤ人のハーフである自分が、一旗揚げるために並々ならぬ苦労を強いられたことや、いつか自分の時代も終わる時が来て、落ちぶれていくのかもしれないという不安、そんな思いをあの年老いた旅芸人の姿に重ね合わせていたと証言する人もいる。確かに、晩年のコメントの端々にはそんな心情が読み取れる。

 いずれにせよ、もうこのような歌が作られることは無いだろう。もとになった出来事も、それを歌にしたソングライターの感性も、あの時代ならではのものだ。だが不思議なことに、この歌は21世紀を迎えた今も、日本人を含む数多くのミュージシャンが取り上げている。これまでにこの曲をカヴァーした主なアーティストを挙げると、ボブ・ディラン、ジョン・デンバー、エルトン・ジョン、ビリー・ジョエル、ホイットニー・ヒューストン、ニーナ・シモン、キャット・スティーヴンス、ポール・ウィンターなど。ウィキペディアに記載された最新のものは、クリスチャン・マクブライドが2017年にリリースしたアルバムに収録されている。

 50年以上の長きにわたって愛されてきた名曲、「ミスター・ボージャングルス」。これからもあと20年や30年は間違いなく歌い継がれていくだろう。

※1 柔らかな靴で音を立てずに、しなやかに踊るダンスのこと。

※2 曲名には末尾にsが付くが、ビル・ロビンソンのニックネームにはそれがない。