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 ダーティー・ヒーロー前夜

 アメリカン・ニュー・シネマというカテゴリーがある。60年代から70年代にかけてアメリカの若者がヒッピーなんかやっていた頃の、あるいはその直後の時代に作られていた映画だ。体勢に反抗する若者の生き様を描いたものが多く,その中で僕の生き方、考え方に大きく影響した映画が何本かある。

・ バニシング・ポイント                 ・ 暴力脱獄(クールハンド・ルーク)                   (「マーフィーの戦い」というのもあるがイギリス映画なのでアメリカン・ニュー・シネマではない。)

 どの映画も主人公は若者で、正しいと信じた自分の生き方を貫き通し、その為に最後には命を落とすことになる。多分後のダーティー・ハリーに代表される「ダーティー・ヒーロー」の前段階で、「わかるんだけれども、肯定は出来ない」時代だったのだろう。(ダーティー・ハリーの頃には少し時代が進んで、「わかる!オレ支持する!」と言える時代になっていたに違いない。(こっちも面白そうだな。後で別に書こう、ダーティーヒーローについて。)

  あらすじをくどくど書くのもどうかと思うし、そういうコーナーでもないので、興味があったら見てみて欲しい。ちなみに一番好きなのは「バニシング・ポイント」。カルト・ムービーとして知られており、今でもディスクが販売されているようだ。僕も2枚持っている。多分レーザーディスクも。今の若い人知らないでしょう、LD。(DVDの化石のことです。巨大化しすぎて絶滅しました。)

  僕は今でも、多分年に数回は再生する。今思い出しても・・ああ、コワルスキーの最後に見せるあの笑顔、支持しつつも止めようとするDJスーパー・ソウルの盲目ながら鋭い眼差し!おっと、話を進めよう。                    

 20代の頃、父と映画談義をしていたときにこの3本の映画のことを話した。その時父に「おまえは危険すぎる」と言われたことをよく覚えている。危険思想、という意味ではなく「死に急ぎそうで危ない」という意味だったと思う。その後すぐ、「清濁併せ呑む」という言葉を教えてくれたぐらいだから。当時の僕は思い立ったら何でもすぐ実行に移したり、納得のいかないことにはとことん反発したりと、結構やらかしていたので、心配してくれていたのだろうなあ。まあ死んでしまっては元も子もない、ぐらいの考えは僕だって普通に持ってはいたんだが。ただ、そういった生き方へのあこがれは確かにあった。自分にはそこまで出来ないことがわかっているからこそのことだ。          

 「バニシング・ポイント」では、自分の生き様をとことん貫き通した主人公は、微笑みながらバリケードに突っ込んでいく。ラストに流れるキム・カーンの歌がまた良い。「誰も彼を愛さない誰も彼を見ていない」(Seeが使われているので「理解していない」ともとれる)そう、そんなふうだったんだよあの頃は。  

 今でも面白くないことがあったときや、日常に飽き飽きしたときなどに引っ張り出してきて見る。すると何となく元気が出てきて、もういっちょ、やらかすか、てな気分になれる。なんか育ってないな、なんて思いながら、実はそれが嬉しかったりもするのだ。

バニシング・ポイント