三輪車の置物
お彼岸の日に墓参りに行った。僕の家はキリスト教なので、お彼岸に墓参りはしないが、カミさんの実家は仏教なので、そちらの墓参りに行く。家はキリスト教と書いたが、それほどこだわっているわけでもなく、むしろお盆やお彼岸といった日本の風習の方が興味がある。そういった時期に墓参すると、普段は寂しげな墓地がたくさんの花や提灯で華やいで見える。その雰囲気が好きだ。
いつものようにカミさんの実家の墓がある墓地に出向くと、下の娘がある事に気付いた。「パパ、あれ・・・。」娘の指さす方を見ると、墓地の入り口にあるゴミ捨て場に、針金細工の三輪車の置物が捨てられていた。それは僕たちにとって見覚えのあるものだった。
カミさんの実家はいわゆる「本家」というやつで、その墓地には同じ姓の墓がたくさんある。それらを巡りながら歩く道すがらに、小さな墓がある。普段は草も伸び放題で、アーチ状の、赤みを帯びた花崗岩でできた小さな平たい墓石が、むき出しの地面に直接設置してある。高さも20㎝に満たないので、墓誌や名前などは一切彫られていない。墓石の前にはステンレス製の線香皿と、花を生けるための樹脂製の竹筒。そしてその傍らにあの三輪車の置物があった。初めて見た時、僕たちは色々と勝手な憶測を巡らせた。「子どものお墓・・・?」「お金はかけられないけど墓石ぐらいは、と思ったのかな。」「墓石がピンクだから女の子かも。」何となく「お線香をあげようか」ということになって、みんなで線香をあげた。以来、毎回欠かさず線香をあげているが、参る人が少ないらしく、手入れもままならない様子で、それが何だか不憫に思える。
あれから何年経ったろうか。今日ゴミ捨て場に捨てられていた三輪車の置物は、確かに塗装もはげ、サビが全体を覆い始めていたが、修理すればまだ使えそうだった。墓へ行ってみると、久々に草が綺麗に刈られ、新しい花が捧げられていてちょっと安心したが、あの三輪車の置物が無くなって、何だか寂しげに見えた。娘が「もういらないのかな」と言うので、「もしかすると、生きていればもう子どもじゃない年齢になるんじゃないかな」と答えた。長い年月の後に、いつしか僕たちの間では、あの墓は「子どものお墓」として定着してしまったようだ。そんなわけで今年も線香をあげてきたが、本当はどんな人が眠っているのかは今もわからない。もしかして迷惑な勘違いだったらごめんなさい。
あの三輪車の置物、よっぽど持ち帰ってサビを落とし、綺麗に塗装し直してあげようかとも思ったが、それこそ大きなお世話かも知れないし、場所が場所だけに、下手に持ち帰ると、何かあった時に皆が変な気持ちになってしまっても困るのでやめておいた。でも、線香だけはこれからもあげ続けようと思う。