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 ハリエット・ショックのデビューアルバム

 ハリエット・ショックとの出会いは1970年代。アメリカの女性シンガーである。今も活動しているようだが、日本ではあまりその名を聞かない。ネットで調べてみたら、何と音楽活動をしながら、何処ぞの大学で作曲や詩(歌詞?)について教えているという。映画音楽にもちょこっと関わったりしているようだ。ジーンズの上下(しかもベルボトム!)を着て歩道に座っていたレコードジャケットの写真からは想像できない話だ。

 この人の日本デビューは多分1970年代の後半(具体的な情報がほとんど無い)で、デビューアルバムは「ハリウッド・タウン」というタイトルだった。当時の僕の小遣いではアルバムを買うのは至難の業だったが、このアルバムは当時の僕の感覚と何か通じるものがあって、絶対欲しいと思っていた。街の大きなレコードショップで見つけたが、持ち合わせがなかったので、とりあえず一番気に入っていた、アルバムタイトルでもある「ハリウッド・タウン」のシングルを購入し、アルバムは次の小遣いまでお預けということに。ところが、このアルバムは日本ではあまり有名にはならなかったらしく、その店にあった1枚がなくなると、2度と入荷することはなかった。しかもハリエット・ショック自体が日本の音楽シーンではウケなかったのか、以後ハリエット・ショックのアルバムを店頭で見たことがない。

 時が流れ、教職に就いていた頃になると、ネットでいろいろな物が購入できるようになった。だがネットでも「ハリウッド・タウン」は見つからなかった。あきらめかけていた頃、僕の勤めていた中学校のAET(アシスタント・イングリッシュ・ティーチャー、外国の方です)にこの話をすると、「カリフォルニアに住んでいる友人に米国アマゾンで探してもらってみようか?」と言ってくれた。僕は英語が少しできるので(といっても映画や音楽についてのボキャブラリしかないのだが)、AETとはいつも仕事以外の話をしていて、仲良くなることが多かったのだ。

 早速連絡を取ってもらったところ、カリフォルニアの中古レコード店に1枚あることがわかった。しかもそのレコードはデッドストックで、まだ一度も針を落としていないとのこと。なんという幸運!だが話はそう簡単ではなかった。その店は海外発送をしていないというのだ。彼はこう提案してくれた。「友人にそのアルバムを買わせて、僕のところへ送ってもらうよ。君は僕を通じて彼に代金を支払えば良い。これでどうだい?」おお、それは願ったり叶ったり。「よろしく頼むよ。ご友人にもよろしく伝えてよね。」しかしここでまた問題が。全ての手はずが整うか整わないうちに「東日本大震災」が発生したのだ。勤めていた中学校は避難所となり、授業のないAETは出勤の義務がなくなった。最後に聴いたレコードに関する情報は「日本への個人の空輸便は大幅に遅れる」というものだった。そして4月。顔を合わせることもないまま、彼は別の学校に配属となった。震災のどさくさで連絡先も聞けず、万事休す。というより、関東東部に位置する僕の住む地域は、実のところ震災の後始末でそれどころじゃなかった。4月に学校が再開して、初めてレコードのことを思い出したぐらいだ。ああ、僕のあのレコードは今頃何処でどうしているのだろう。

 そんなある日、授業を終えて職員室に戻ると、そこに彼がいた。お世話になった学校に挨拶に来たというのである。日本人の奥さんがご一緒だった。彼は満面の笑みを浮かべながら、手持ちのバッグから薄っぺらな段ボールのパッケージを引っ張り出した。「やっと届いたよ。」

 レコードを受け取りながら、僕はどんな顔をしていただろう。奥さんがにこにこしながら言った。「私たちもネットで聞いてみました。とても良いアルバムですね。特に歌詞が素敵でした。」お世辞とは思わなかった。初めて聞いたFM放送の紹介でも、特に歌詞の内容が注目されている、と紹介していたからだ。彼はささやいた。「本当はこれを届けに来たんだ。挨拶はそのついでさ。」嬉しいなあ。「本当にありがとう。これでまた夢が一つ叶ったよ。それで、いくら払えば良い?」そう聞くと、彼はまたにっこりと笑って、「お金はいらないよ。これは僕からのプレゼント。たくさんお世話になったからね。」

 AETは知らない人ばかりの学校に配属され、会話は授業に関することばかりで、心細かったり、孤独だったりするのだそうだ。だから日常的な話のできる相手がいるととても安心するらしい。奥さんも笑顔で頷いている。当時から僕のことは聞いていたようだ。僕はアメリカの(音楽や映画などの)文化について本場の人間と話をするのが楽しかったのだが、その日常的な、自分の好きなカテゴリーについての会話が彼を少なからず支えていたというのである。

 こうして数十年の時を超え、新品のアルバム「ハリウッド・タウン」が僕の手元にある。今やこのアルバムは自分が若かった頃の思い出であるだけでなく、AETの彼との思い出の品ともなったのである。

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 メロンパンとバタークリーム

 「メロンパンが食べたい」と言えば「買ってくればよかろう」と言われそうだが、事はそう簡単ではない。まずその種類の多さ。製法も多岐にわたっている。そして僕がここで取り上げようとしているのは、昔の、黄色い、あの表面がベトッとした上あごにくっつくやつなのである。

 現代のメロンパンは文字通りのメロンパンで、食べてみるとサクサクした口当たりで、メロンの味がする(当たり前と言えば当たり前)。中がオレンジ色の夕張メロンパン、なんていうのもあるぐらいだ。だが昔のメロンパンは、実はメロン味ですらなかった。前述したようにベタベタで、なぜか表面は黄色。香りはバナナがもとになっていたと聞いたことがある。ではなぜメロンパンという商品名だったのか。これも又聞きだが、表面の黄色い部分に網目模様が刻んであって、それがメロンのようだったから、という説が有力だ。つまり、「メロン型パン」というわけだ。そして、これがなかなか見つからないのだ。もしかして、もう絶滅してしまったのだろうか。

 もう一つ、大好きなパンがある。これは今でも販売していて、確か○○スイートだか、スイート○○とか言う商品名だったと思う。形は円盤形。細長いデニッシュ生地を直径20センチ程に平らに巻いてあり、シュガーシロップがかけてある。パッケージに「相変わらず売れてます!」なんて書いてあって、もうウン十年になるらしい。今でも良く購入する。渦巻きをほどきながら食べる(♪)。

 ケーキに関して言えば、近頃バタークリームケーキが大分復活してきているようで嬉しい。僕の知っているパティシエなんて、「ケーキはバタークリームのほうが絶対美味しい!」と断言しているぐらいだ。クリスマスケーキといえばバタークリームが主流だった子どもの頃は、生クリームのイチゴショートは高級品だった。当時母は添加物のことばかり気にして(そういう時代だった)、イチゴショートのクリスマスケーキを買ってくれるのだが、バタークリームのケーキはクリームに色がついていて(母はこの着色料を嫌っていた)、バラの花なんぞを型どり、当時は名前も知らなかった銀色の粒(アラザンというらしい)が散らしてあったりして、えらく豪華に見えたものだ。あるときそっちを買ってくれと懇願したら、母は驚いた顔をしていたが、やっと子どもの心理に気付いたのか、それからは色とりどりのクリームで飾られたバタークリームケーキを買ってくれることが多くなった。色つきのバタークリームにしろ、メロンパンにしろ(あの黄色い部分はどのように作っていたのか、考えるだに恐ろしい気もする)、添加物のことを考えると心配も無いではないが、子どもは感性の生き物だから、そんな理屈で納得なんかしないのだ。

 他にもイタリアンパン(「イタリアのパン」ではなく商品名)だの、ラビットパン(今あるものとは別物です)だの、もう一度食べてみたいパンがたくさんある。ものによっては進化した類似品が今もあるようだ。例えば、静岡名物のカニパンは、僕にはとても懐かしい味がする。イタリアンパンってこんな味だったような気が・・・。口当たりはもっとパサパサだったけど。何しろ記憶だけでの評価だから当てにはならないが、一方で黄色いベタベタのメロンパンにはもう20年以上お目にかかっていない気がする。一刻も早い復活を願ってやまない今日、この頃なのである。

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 教育と金

 以前から、人類の行う行為で「最も大規模なもの」は戦争、「最も重要なもの」は教育だと考えている。どちらも金がかかる。

 教育現場がブラック企業になぞらえて言及されるようになってから久しい。教師は多忙を極め、それに見合った報酬もない。行政は設備投資にはそこそこ積極的だが、人的環境の充実にはなかなか出資しない。そんな中で心身を病む教師も少なくない。今の教育現場は文字通り命がけだ。使命感に燃えて、過酷な仕事を快く引き受けるような時代はとうの昔に終わっている。

 僕の住んでいる地域では、教師の定年は60歳だが、近々65歳まで引き上げられる予定だ。現在は定年退職者に対し、「再任用」という枠が設けられていて、希望すれば65歳まで仕事を続けることができる。教育委員会は毎年、定年退職者に「経験豊かなベテラン教師の力を、是非とも本県教育のために・・・」などと美辞麗句を並べて勧誘するそうだ。だが、給与は満額にはほど遠く、状況によっては半減する。近年では「馬鹿らしくてやる気にならない」と、辞退する人が続出しているとのことだ。さらに不思議でならないのは、現場に講師の割合が増えてきていることだ。

 講師は、いわゆる「教諭」ではないが教員免許を持っていて、別枠で契約し、現場で教育活動を行う。それを生業にしている人もいれば、「今年は採用試験に受からなかった」ので講師の契約をする人もいる。だが、採用試験に受からなかった人を講師として現場で使う、というのはどういうことなのだろう。もちろん、こうした講師の中にも現場で十分力を発揮する人は多い。ということはつまり、「使える人」を採用せずに別枠で雇っているわけだ。

 講師にはその勤務形態によっていくつかの種類があって、給与体系も違う。基本は1年契約。昇級もあるが、教諭と違ってある一定のラインでそれ以上の昇級はストップしてしまうようだ。つまり、安く使えるということだ。しかしその講師でさえ近年では状況が厳しく、不足しているのが現状だ。ちなみに先ほどの「再任用」の給与はさらにその下をいくという。「ベテラン」と持ち上げて安く使う。そう思われても仕方がない。もちろん、僕には教育自体を金で計る意図はない。だが携わる人間にはプライドも生活も人並みにある。(※)

 戦争と教育。軍事予算では、使わないかもしれない兵器の開発にも莫大な金が落とされる。だが教育予算では、今必要な金がなかなか下りてこない。例えるなら、一方では罹らないかもしれない病気のために多額の保険料を支払っているが、一方では明らかに病気の人がいるのに治療費が支払われない。「様子を見ましょう」ということだ。その診断は正しいのだろうか。

 繰り返すが、もう使命感だけで教育ができる時代ではない。そんな美談が通用したのは、世の中がもっと単純で、素朴だった頃の話だ。教育現場はすでに疲弊している。行政は労働環境の改善や人員の確保など、いろいろな意味で教育にもっと金を使うべきだ。

※ 実際には公務全般にわたって多くの非正規職員を安く使うという状況にある。地域によってはあの「児童相談所」も同じ状況だという。

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 「オレが作った」

 ある高校の軽音楽同好会。これを作ったのは僕である。

 当時ロックバンドは若者にとって流行りというか、誰もが一度はギターを、みたいな雰囲気があった。高校合格のお祝いに自分のドラムセットを手に入れた僕は、高校に入ったらその手の部活で腕を磨くぞ、なんて考えていた。ところが、その高校の音楽系部活動のラインナップは「コーラス部」「クラシックギター部」「吹奏楽部」。バンドのバの字も無いじゃないか!当時は学校説明会なんてなかったから、こういうことは良くあった。でもどうしよう?しばらく途方に暮れた。

 学級でこのことを話題にすると、オレもやりたいなあみたいなことを言うやつは結構いた。他のクラスにも数人見つかった。そこで思った。作れば良いんだ。だがメンバーは足りるか?顧問は?はじめは部活動としては認めてもらえない。あくまでも同好会で、予算はつかない。それはまあ良い。顧問は音楽の先生がやってくれそうだ。場所は・・・場所!何しろロックバンドだ。音がでかい。うまく良い場所が見つかるだろうか?

 そんなこんなで1ヶ月。何とか練習場所も見つかり、同好会創設にこぎ着けた。初代会長は僕だ。そこで予想外のことが起こった。上級生が2人、入れて欲しいと訪ねてきたのだ。隠れ同好の士。パーマの長髪。こんな人いたっけ?「会長は1年から出します。それで良いですか?」「良いよ。俺たちはギターさえ弾ければそれでいい。」頼もしい助っ人だ。しかも2人。よっぽど我慢していたんだろうなあ。特にHさんという先輩はギターも上手で気さくな人だった。初心者の僕らにいろいろなことを教えてくれた。

 ところで、当時ロックは不良の音楽。15歳で教室のガラスを割って回ったりはしなかったが、隠れて煙草を吸うメンバーはいた。駅前の喫茶店が僕たちのたまり場で、良くミーティングをした。「煙草を吸うときは上着脱いでねー。」なんて店のおばちゃんに言われながら、楽しい時間を過ごしたものだ。なぜか楽器もやらない、歌も歌わないというメンバーが何人もいて、一緒に行動するのが常だった。今思えば、あれが僕らの青春(死語。でも死語にしちゃいけないんだよ、こういう言葉は)だった。人生で一番輝いていたように思う。

 そんなわけで生徒指導の先生には常に目をつけられていた。根拠のない疑いをかけてくるので、良く口論した。あるとき僕が職員室に乗り込んでやり合っていると、別のある先生が突然僕の名を呼んで、「お前が正しい。」と言ってくれたのには驚いた。生徒指導の先生はぐっと詰まった。「勝った!」そう思った。その僕が教育現場で最後に担当した仕事が生徒指導。もちろん、理解のある教師でしたよ!しかし、あの先生これを聞いたら泣いちゃうだろうな。それから、助け船を出してくれたK先生、あの時は本当にありがとう。あなたのことは一生忘れません。

 軽音楽同好会は今も健在らしい。ただ、いまだに部活動にはなれないようだ。高校の同級生が母校の教師となり、ある同窓会の席でつぶやくのを聞いてわかった。「軽音には手ェ焼いてんだよな。まったく、あんなサークル誰が作ったんだ?」近場にいた事情を知っている同窓生たちは一斉に僕を見た。僕は笑いをこらえるのに必死だった。というのも、ぼやいているのはそこそこ仲の良かったやつだったからだ。あの時のことは記憶からすっかり抜け落ちているらしい。一段落して言ってやった。「オレ。」「え?」「オレだよ。オレが作った。」「何を?」「だから、軽音だよ。オレが作った。忘れたのか?」しばらく彼は沈黙した。今度は周囲が笑いをこらえている。彼ははっと我に返ると、「お前なあ、なんてことしてくれたんだよ!どんだけ苦労してっかわかってんのか?」だが顔は笑っている。周囲は大爆笑していた。「忘れていたお前が悪い!」なんて、逆に攻められていた。そうか、伝統は健在か。よしよし。

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 記念品?

 あちこちで良く石を拾う。本当はいけないんだろうなあ、なんて思いながら旅先で小さいやつを拾う。

 昔、「プライベート・ライアン」という戦争映画があった。スピルバーグ監督とトム・ハンクスがタッグを組んで制作し、第二次世界大戦のフランス戦線を描いた。その中で、ある軍曹が転戦するたびにその地域の土を缶に詰めて背嚢に入れるシーンがあった。あれに似ているかもしれない。とにかく、自分がそこを訪れた証(あかし)に石を拾ってくるのだが、性格がずぼらなものだから、どの石がどこで拾ったものだったかすぐわからなくなる。知らないうちに本箱の隅の一角が小さな砂利集積場のようになってしまった。

 新婚旅行でヨーロッパに行ったとき、フランスで「パリの空気の缶詰」なるものを見つけ、土産にしようとしこたま買い込んだ。知っている人もいるかもしれない。薄型の缶でかさばらず、何しろ軽い(当たり前だ)。成分表がついていて、酸素・窒素・二酸化炭素・アルゴンの他に「汚染物質」とある。そして注意書きも。「重要:開けるな/揮発性/真面目な人には有害」。ウンウン、そうだろうなあ。

 今でも1~2缶残してあって、開けてみたい気もするが、結局まだ一度も開けてない。地球の大気はどこまでも繋がっているわけだから、何十年かすればパリの空気が日本に巡ってくることもありそうだ。そう考えるとあの缶詰はあまり意味がないかもしれない。今ではパリ各地の空気を混ぜて詰めた缶詰に取って代わられてしまったとのことだが、これにも成分表がついているそうだ。「ルーブル美術館の空気 20パーセント」とか。いったいどうやって計測したんだろう?

 教師をしていた頃、こう思った。良い先生というのは教え子の心の中でいつまでも良い思い出として残るような人のことだろう。拾い集めた石ころのように、彼等の心の中に僕の記憶が何気なく残っていてくれたら嬉しいのだが、もしかすると「真面目な人には有害」だったりして。

「パリの空気」の缶詰(10×6㎝) 今は販売していないようだ。

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 知ることの意味

 「まったく、近頃の若いもんは」という言い回しがある。最近ではあまり使われなくなってきたようだが、一昔前までは若者の所行にあきれた大人や老人の決まり文句だった。

 このあいだ娘と話していて気付いた。僕は昭和の生まれなので、今までに昭和・平成・令和の時代を生きてきたことになる。だが娘は昭和をまったく体験していない。僕は昭和とそれ以降の時代を比較し、その善し悪しについて論じることもできるが、娘はそれができない。できなくて当たり前だ。「近頃の若いもん」は比べるべき昭和の時代を知らないのだから。価値観の相違に業を煮やすのもわかるが、それは理不尽というものだ。だが、彼等が何らかの方法で昭和について知ることができれば、話は変わってくるはずだ。

 人は物事を判断するとき、「知っていること」をもとに判断する。行き詰まれば、自分が知らないことを知っていそうな他人に意見を求める。歴史、書物やネット、時には一本の映画から新しい知識を得ることもある。「知る機会」は生活の中にいくらでも転がっている。問題はそれに気づき、生かそうとする意思があるかどうかだ。

 2021年、アメリカの大統領選挙に絡んで保守派の暴徒が議事堂に乱入する事件があった。この時いち早く反応したのが、元カリフォルニア州知事で俳優のアーノルド・シュワルツェネッガーだった。彼はネット上で、この事件をナチス・ドイツ(ナチス政権下のドイツ)のユダヤ人に対する暴挙、「水晶の夜(※)」になぞらえて非難した。彼は(第二次世界大戦の)戦後世代だが、動画の中で「水晶の夜のことは父から聞かされていたので、よく知っている」と語った。

 ご存じのように、彼はオーストリア出身だ。オーストリアといえば、第二次世界大戦直前、ナチス・ドイツに一方的に併合された国だ。この時のことはミュージカルの名作「サウンド・オブ・ミュージック」でも描かれていて、ラストではヒトラーに迎合するのを嫌ったオーストリア海軍のトラップ大佐が、家族とともに祖国オーストリアを脱出する。(トラップファミリー合唱団のエピソードも含めて実話に基づいている。)こうした状況下でシュワルツェネッガーの父親は警察署長を務めていた。後にナチに入党し、「突撃隊(ナチの私設警護隊)」隊員となる。そんな父親とシュワルツェネッガーの関係は芳しくなかったが、当時の話をよく聞かされていたことは想像に難くない。「水晶の夜」は併合後のオーストリア領内でも起こっており、彼にとってこの事件の話題は許しがたい不愉快なものだったに違いない(後年シュワルツェネッガーは当時の父親の動向について、その筋に詳しいある機関に調査を依頼している)。こうしてシュワルツェネッガーは、良くも悪くもあの時代を生きた父親から学び、知識を受け継いでいた。だからこそ、あの説得力のあるメッセージが生まれたのだろう。

 ところであの事件に関わり、「やってることはナチと同じだ」と指摘されたアメリカ人達はどう思っただろう。真っ向から否定しただろうか。あるいは確信犯として民主政治の象徴とも言える議事堂を襲ったのか。その可能性も否定はできない。アメリカには白人至上主義を掲げる過激な極右団体が多数存在している。ちなみにナチは極右政党だ。彼等はナチが何をし、最終的にどうなったかを知らなかったのだろうか。

 今回、民主主義のリーダーとも言えるアメリカの、明らかな思想的矛盾が広く露呈した。が、驚くまでもない。人の世とは、そもそもそういったものだ。僕らが思うよりも遥かに複雑で、時々刻々と変化する。しかも「歴史は繰り返す」から厄介だ。教訓はいつの間にか忘れ去られる。だからこそ、正しく学び、知ることが大切なのだ。

※ ヒトラー政権下のドイツ各地で、1938年11月9日夜から10日未明にかけて起きた反ユダヤ暴動。ユダヤ人住居、商店、宗教施設などが襲われ、破壊・放火され、その際、100人近いユダヤ人が殺害された。主導したのは「突撃隊」で、一般国民の中には身の危険を冒してユダヤ人を助けたものもいたが、警察・消防は見て見ぬふりだった。ただし事件後には、3万人もの被害者であるはずのユダヤ人が逮捕され、強制収容所に送られた。実際にはナチス政権が主導していたという疑いが濃く、特に宣伝相ゲッペルスの関与は確実視されている。そこら中に散乱したガラスの破片が月光に照らされて、まるで水晶のようだったという。

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 CMという名の名画劇場

 今でも覚えている印象深いCMがある。例えばサントリーのショーン・コネリーが出てたやつとか、ダーバンのアラン・ドロンが出てたやつとか。まるで短編映画のような趣があり、画面作りもめちゃくちゃ凝っていて、宣伝する商品よりもCMそのもののほうが印象に残る。BGMも、もしかするとその為に作曲されたんじゃないかと思うほど(本当のところはわからない)マッチしていた。そして何よりも、商品とはまったく関係ないようにすら思える重厚な語り。ウイスキーのCMのなかで「時は流れない それは積み重なる」なんて言ってみたり、スーツのCMのなかで「彼は幸せか これだけがたったひとつの友達への問いかけ」なんて言ってみたりするのである。しかも、映像の中の人物がカメラ目線になることはなく、このへんも映画っぽい。おそらく「こんな人生を送る人がこのウイスキーを飲むのだ」とか、「このスーツを着るのだ」という回りくどい言い回しなのだが、それが妙に説得力があった。僕もあんな人生を送ってみたい、こんな場面に出くわしたい、と思わせる何かがあって、だまされてるなあ、なんて思いながらも納得してしまうのだ。ウイスキーなんて、宣伝されている銘柄を美味しいと思ったことがなかったとしても、なんだかその銘柄を飲みたくなる。そうすればあんな人生を送れるかもしれないという、大いなる大誤解。ああ、クリエイターの感性、恐るべし。しかも嬉しいことに、これらはCMであるから、何度でも無料で見ることができた。

 ほかにも「果てしない創造への旅立ちが、今、始まる」(ニコンF2フォトミック)とか、「UFOの出そうな荒野で 羊飼いの青年に会った。(中略)僕らは本当に豊かなのかな」(サントリーオールド 羊飼い編)などという語りもあって、これがまた、BGMと相まってかっこよかった。僕なんぞは、サントリーとダーバンのCMについては新作(商品ではなくCMの)が待ち遠しくて、それがたいしたことなかったりすると本気でがっかりしたものだ。

 今ではそれほどお金のかかった(ように見える)CMはほとんどない。ビールなんか、グビッと飲んでいきなり「うまいっ!」なんて言う。演出も何もあったもんじゃない。押しつけのように感じてしまう。「いや、オレも飲んでみたけど好みの味じゃなかったよ」と返したくなる。うまいかどうかの前に、味がない。(うまい!自画自賛。)

 イメージが近いCMがないわけではない。焼酎二階堂のCM。あれはよくできている。ただ、とても日本的で、マイナー調なのが残念。・・・待った。ひとつ思い出した。缶コーヒーのボス。アメリカの名優、トミー・リー・ジョーンズ、どんだけ日本好きなんだ、とか思ってしまう。往年のものと比べるとかなり安っぽいが、平成最後の総集編など、胸が熱くなる。・・・あ、そうか!ボスの会社はサントリーだった。こうして細々と続いているわけね。

 これらのCMは今でもYouTubeで見ることができる。同じように感じている人がいるらしく、ダーバンなんて、きちんと編集したりしているところを見ると、相当好きなんだろうなあ。サントリーも上記したものの他に「スタインベック編」とか、「ヘミングウエイ編」などと銘打ってUPされているものもある。そのうちブルーレイとかで販売してくれるかも。そうしたら真っ先に購入するんだけど。

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 春の匂い

 春の匂い というのがある。

 よく娘たちと散歩をする。娘と近くの小さな神社まで往復する。娘たちは神社で賽銭をあげ、何かしら願掛けをしているようだ。このような日常を送っていると、普段気付かないいろいろなことが見えてくる。例えば、季節ごとに空気の匂いが違うこととかだ。

 僕の住んでいる地域では、春になると何とも言えない芳香が漂ってくる。秋の匂いであるキンモクセイの香りは家族の誰もが知っている。キンモクセイはうちの庭にも植えてあるからだ。だが春先のこの匂いは、もっとつかみ所がない。娘が外から帰ってくるなり、                        「パパ、今日春の匂いがした!」              などと叫び、いそいそと外へ出るようなこともあった。僕が車を洗っているときに、風向きが変わるなり匂ってきたこともあった。しかし、いつもその出所はわからずじまいだった。娘たちと議論したこともあったが特定に至ることはなく、次の春までの宿題となるのが常だった。だから、うちではとりあえず「春の匂い」ということになっていた。                               

 こうして何年かが過ぎ、僕はあることに気付いた。うちの庭には小さな梅の木があって、最近立派な実をつけるようになったので、ここ数年自家製の梅干しを作っている。その梅の花の香りが、どうもあの匂いに似ているのだ。少なくともその一部であることは間違いなさそうだ。そう言えばうちの近所には梅畑がある。少し離れているので、風向きによって匂うことがあるのも頷ける。ある年、春先にその梅畑に行ってみた。なるほど、この匂いに間違いないようだ。僕は家に帰って娘にそのことを告げた。

 こうして一つの話題に結論が出た。しかしその後すぐ、それは同時に、僕らが一つの話題を失ったことを意味することに気付いた。なるほど、こんなふうにして僕らは大人になっていくんだな、と思った。べつに「春の匂い」のままでも良かったのかもしれない。今ではそんなふうに思うもう一人の自分がいるのである。

「春の匂い」のもとになっていた梅林

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 「惑星ソラリス」

 これはあるSF映画のタイトル。1972年、旧ソビエトの映画。監督は「映像の詩人」アンドレイ・タルコフスキー。同年のカンヌ映画祭では審査員特別賞を受賞。数年前にあの名作、「2001年宇宙の旅」が公開されていて、SFマニアの間ではよく比較される。

 さて、「惑星ソラリス」である。僕は好きだが、一般論としてはあまりおすすめしない。アンドレイ・タルコフスキーは長回しを多用する監督で、アメリカ映画に慣れている人にはかったるいと思う。しかも上映時間2時間45分。早送り必至だな。その前にみんな寝ちゃうか(うちの家族はみんな寝た)。タルコフスキー自身も後に「意図的に退屈な表現をした」と言っているそうだが、だとしたらそのねらいは大当たりだ。でもこの記事を書くにあたってもう一度見直してみたら、そんなに長いとも思わずに、一気に見終わってしまった。やっぱり好きなんでしょうね。

 その昔、レーザーディスクでオリジナル版を初めて見たときにびっくりしたのが、未来都市の場面を東京でロケしていること。首都高の高架道路やトンネルが、当時のソビエト人には未来都市のように写ったらしい(本当は1970年の万博会場でロケする予定が、間に合わなかったという話もある)。話には聞いていたけど、実際に見慣れたタクシーとか貨物トラックとかが「キーン(効果音)」なんていって走っているのを見ると、「やれやれ」という感じ。しかもこのシーン、延々と続く。さあ、皆さん、早送りの時間です!

 原作者であるポーランドのSF作家、スタニスワフ・レムのねらいは「宇宙において人類が遭遇する事象は全て人間にとって理解可能だ、なんて甘いこと考えてんじゃねーぞ!」ということだったらしい。「ソラリス」という惑星には惑星全体を覆う海があって、この海そのものが知性を持った生物らしく、重力場をコントロールして惑星の軌道を変えたりもできる。人類はソラリスの軌道上にステーションを設置、数世紀(!)にわたって理解と意思疎通を試みてきたが、いまだにこれといった成果は得られていない、というのが物語の背景。ハムスターって何考えているかよくわからない、どころの騒ぎではない。85人乗りのステーションは荒れに荒れ、今では駐在するスタッフは3人だけ。あるとき、これ以上の調査を続行するか否かを決定するため、新たに1人のスタッフ(クリス)が派遣される。この人が心理学者であることが興味深い。着いてみると2人の科学者が精神を病みながらも生存。友人であった科学者は到着直前に自殺していて、意味深なビデオメッセージが残されていた。滞在するうちにおかしな事(いないはずの人影が見えたり)が続発し始め、ついには自殺したはずの妻、ハリーが現れる。この存在はソラリスの海が作り出したコピーでありながら、ソラリスの海からは独立した自我を持っていて、厄介なことに自分はハリーであると信じている。その他の人影は、同じように他のスタッフを訪れた訪問者の姿であった。クリスは混乱し、妻のコピーをポッドに載せて射出してしまうが、すぐに次のハリーが現れる。やがてクリスはこの複製された妻を愛するようになっていく。ここからが辛い。

 ハリーは過去のことを覚えていないので、自分が本物のハリーではないことに気付きはじめ、葛藤する。他の科学者達はクリスのふるまいを批判し、「君が愛したのはどのハリーなんだ?最初のコピーか、それとも2番目のか?」と問い詰め、クリスとともに行動するようになったハリーに対しても「君は人間じゃない、ただの複製なんだ」と冷酷に事実を突きつける。それを聞いたハリーはショックを受け、涙ながらに「クリスは私を愛してくれます。でもあなたたちは残酷です。確かに私はただの複製かもしれない、ならば私は人間になります。」と訴える。この決意。ここでいう人間っていったい何なんだろう。この後ハリーは思いあまって自殺を試みるが、肉体の組成が違うために死ぬこともできない(蘇生してしまう)。この間、ソラリスの海はいつものようにただうねっているだけ。その意図はまったく理解不能だ。ただただ、登場人物(ハリーを含む)にとって心理的に辛い状況だけが続く。使われている音楽がバッハの「イエスよ、私は主の名を呼ぶ」であることも効果的。SF映画なのに、見ている側が「神様、どうかこの人たち(もちろんハリーを含む)を救ってあげてください」と祈りたくなってしまう。しかも人間の定義そのものすら揺らいでくる。人間とは生物としての物理的存在を言うのか、それとも「人間である」という意識としてのそれなのか。  

 しかし、あの時代にしてこの問題提起というのは凄いと思う。今だったら、例えば近い将来人格を持った(あるいは人格を持ったように見える)AIが開発されるかもしれない。それを人類はどう扱うのか?AIの人格を認めるのか?本当に人格を持っているのかどうかを確認する方法はあるのか?実際、「2001年宇宙の旅」では「ハル(HAL、コンピューターの呼称)に人格があるかどうかは、誰にもわからないだろう」というセリフがある。そのハル自身は矛盾した指示のために神経症のような状態に陥り、強制切断の際には「怖いんだ、やめてくれ」と懇願する。この問題はもうSFとは言えない。すぐそこに迫った現実だろう(※1)。

 最終的には、ある方法(※2)によって訪問者達は消滅するのだが、それは悩み苦しむクリスを見かねたハリーの望みでもあった。また、このことによって海にも変化が起こり、陸地(島)が出現する。そして有名な、様々に解釈されているあのシーンで物語は終わる。あらすじを長々と書いてしまったが、この記事を書こうと思った理由が実はもう一つある。それは登場人物の一人が言った言葉。                      「人間の心の問題が解決されなければ、科学など何の意味もない。」         (ウィキペディアより引用)  最近のBDの字幕では「こんな状況にあっては科学もクソもありゃしない」という表現なっているけど、とにかく1972年の映画が、現在のネット社会が内包する問題を予言しているというか、科学技術の進歩の裏にある「使う人間の側の問題(※3)」が強く意識されているというか、さりげないセリフなのだが、よく考えるととてつもなく重い気がする。この人物は続けて、がむしゃらに宇宙に出て行ったって仕方ない、地球だけで十分だ、人間に必要なのは人間なんだ、と語っている。「2001年宇宙の旅」では科学技術の発展に伴う人類の新たな進化が「ツァラトゥストラはかく語りき」にのせて高らかに謳い上げられていたが、「惑星ソラリス」ではむしろ進歩する科学技術を背景に、人間とは何か、どうあるべきなのかという命題を「イエスよ、私は主の名を呼ぶ」にのせて投げかけているように思える。そしてそこには、ある種の宗教観さえ感じ取れるのだ。科学技術は人間を救えない、この科学万能と言われる時代にあってなお、人間の救済は人間もしくは宗教(=神)のなにしか存在しないという、これこそが深い精神性と人類の救済を目指したタルコフスキー監督の描きたかったことなのだという気がする。

※1 僕たちはすでに「鉄腕アトム」や2001年宇宙の旅の「HAL9000」、「チャッピー」などのAIの人格を無意識のうちに認め、感情移入までしてしまうという体験をしていると思う。

※2 ソラリスの海は睡眠中の人間の「潜在意識」から情報を得ているので、当事者の予想しない「訪問者」を送り込んでくると考えられていた。そこで覚醒中の、つまり能動的に思考しているときの脳波を変調し、X線にのせて照射することで、こちらの考えを正しく伝えようとする試みが実行された。

※3 人類は科学技術の進歩に見合った「精神の成熟度」に達しているか、という問題。有名なところでは冷戦時代の「核の危機」。 身近なところでは、ネット一つとっても人はそれをうまく使いこなせていない気がする。

〈参照〉BD「惑星ソラリス」(アイ・ヴィー・シー)

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 「勝利への賛歌」

 前回書いた記事でちょっと触れた「勝利への賛歌」という歌。「死刑台のメロディー」という、1920年にアメリカのマサチューセッツ州で起こった、有名な冤罪事件をモチーフにしたイタリア映画の主題歌であったことはすでに書いた。「サッコ・ヴァンゼッティ事件」。調べてみました?強盗殺人の疑いをかけられた二人のイタリア移民、サッコとヴァンゼッティはアナキスト(無政府主義者)で、第一次世界大戦ではアメリカでの徴兵を拒否している。つまり移民であるだけでなく、当局からは政治思想についても目をつけられていたということだ。

 二人の裁判は確固たる物的証拠も無いまま、当局の筋書きどおりに進んでいく。雇われた目撃者に偽証させた、という話もある。真犯人に繋がる物的証拠を当局が隠蔽した、という話もある。要するに、マイノリティやコミュニストに対する見せしめのための裁判だった、ということらしい。弁護側の主張はことごとく退けられ、市民の大々的な抗議活動も、国際的な世論も状況を変えることはできず、結果、二人は逮捕から7年後に死刑に処せられた。これが1920年から1927年にかけて起こったこと。この時代は「狂騒の20年代」と言われており、アメリカでは自動車やラジオが普及し、ニューヨークなどの大都市では摩天楼の建設が急ピッチで進められた。「富めるアメリカ」。そんななかで起きたサッコ・ヴァンゼッティ事件は,まさにアメリカの暗部と言っていいだろう。

 事件から50年後、1971年にはイタリア映画「死刑台のメロディー」が製作された。そう、イタリア映画。おわかり?そしてこの映画の主題歌が「勝利への賛歌」だったわけだ。

 「勝利への賛歌」はエンニオ・モリコーネが作曲し、当時の反戦フォークシンガー(反戦ったって、ベトナム戦争だけど)、ジョーン・バエズが作詞して歌った。たった4行の、二人を追悼し,たたえる詩。それが印象的なメロディに乗って延々と繰り返される。当時日本でもそこそこヒットし、ラジオ等で流れていたのを僕も覚えている。そして二人の処刑(1927年)から50年を経て、1977年にマサチューセッツ州が当時の裁判の違法性を認め、二人の無実を宣言したという。何ともやりきれない話だ。

 これとは別に、1950年代になると、同じくアメリカで共和党のマッカーシー議員の告発に端を発し、共産主義者であるという疑いだけで多くの有名人や軍人までもが攻撃された。詳しくは触れないが、ほとんど狂気。どんだけ共産主義怖いんだ、と思う。1954年6月に開かれた陸軍に関する公聴会はTV中継され、このなかであまりにも侮蔑的なふるまいをするマッカーシー議員に対して、陸軍側の弁護人が「君、ちょっと話を止めて良いかね?・・・もうたくさんだ。君には品位というものが無いのかね?」と戒める映像が残っている。最近NHKのドキュメンタリー番組で使われていたので、見た人もいるだろう。

 この歳の暮れに、上院で「上院の品位を損ね、批判を生む行動をした」との決議が採択され、マッカーシーは事実上失脚するのだけれど、その後も彼の支持率は50%前後を維持し続けたという。なんか、どっかで聞いたような話だな。

 言うまでもなく、アメリカは民主国家である。だが、やっていることを見ると、スターリンやヒトラーとあまり変わらないところがある。保守派という言葉があるが、その一部はほぼ極右。下手をすると国粋主義やファシズムに近いふるまいをすることもある。民主主義を謳いながら、共産主義を恐れるあまり、結果としてスターリン政権下のソヴィエトみたいなことが起こる。権力を手に入れたらみんな同じ、ということなのだろうか?だとしたら、イデオロギーっていったい何なんだろう。

 今年(2021年)アメリカの新大統領が誕生したが、政権交代の前後にも似たような状況があった。「学ばねえ国だな」と思ったが、すぐ考え直した。もしかしたら、これこそがアメリカなのかもしれない。

〈参考 ウィキペディア「マッカーシズム」「ジョセフ・マッカーシー」〉